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37ECサイトで独立しよう  良いデザインの正体

いいデザインてなんだ?

さて、ここでいいデザインとは何か?という僕の考えのお話をしましょう。
アカデミックなものの言い方をすると地球に優しい とか、ゴミを出さないデザインとか、生き延びるためのデザインとか? まあ、そういうことも一般的には言えますね?でもそんなことが言いたいのでは無いのです。

僕の考えは、良いデザインとは相対的だということです。
速い話が、人によっていいものは違う ということです。 ある人はいいといい、ある人はダメだという そういう事。
『当たり前じゃないか!』って言いたいですか?でも、本当に僕らはそんなふうに自由なんでしょうか?

世の中売れている商品が一番いいという人がいます。 たとえば、世界一売れたプロダクトは後にも先にもi-phoneらしいです。 10億台うれたと聞きました。 でも、今までの総合販売台数です。

売れたと言っても、世界中の人が全員i-phoneを買っているわけではありません。

これはi-phoneが嫌いな人は嫌いってことですよね。高いから買えないっていう人もこの際、嫌いっていうことにします。

今までの販売台数の総数ですから、所詮売れても、買ってない人の方が圧倒的に多いのです。
じゃあ、嫌いな人にとっては、i-phoneは悪いデザインだってことです。 この話にはまだ救いがある。

でも、ここで、効率的で機能的なデザインが一番素晴らしいのだと仮にそういう世界があるとしましょう。するとどうなるか?

トヨタ自動車の予言

たとえばトヨタが発表した重大な宣言がありました。トヨタは、車を作る会社を将来やめるって宣言した。これはどういうことでしょう?

実はこれからは、自動運転が主流になるからなんですね。もうそう言う未来が見えている。自動運転が主流になると、人は車を買わなくなります。なぜか? それは、走っている無人の車をスマートフォンで呼び出していつでも乗れるからなんです。

毎日の通勤、毎日の通学、毎日の病院、そういう事にも事前に予約を取ってお金を払っておけば、何百万もする車はいりません。しかも、自分でハンドルも握らない。 車の中で寝てりゃいいわけです。

もし、いま、道路を走っている車だけにしたら、世界中の車の台数は10分の1くらいになると言われています。だから走っている車だけにしたら、駐車場もほぼ、無くなる。 車は深夜以外停車することがなくなるからです。コンピューターが計算して 車に乗りたい人を探索する。見つけたら導線を考えて効率的に走り回る。よく考えたら信号も無くなりますね。違反もなくなるから道路標識もなくなる。犯罪をしたら逃げられない。

もしそうなったら、車のデザインはたった一つになります。人は所有物では無いもののデザインにあまりこだわらないでしょう?これから乗るタクシーの形がどんなものであろうが乗り捨てる車に、好きも嫌い無いじゃないですか?今だって、黒のタクシーにしか乗りたくないっていう人いますかね?

自動運転が進むと、車のデザインは一つに淘汰されていく。そして、今ほど車は売れなくなる。だからトヨタは車を作る会社では無くなると言ってると僕は思います。

街ぐるみで生活が変わっていく

自動運転が完璧にできるためには街をAIでコントロールしなければなりません。もしそんなものができて、自動運転が、政府に公式化されると、空飛ぶ車ができます。コンピュータ制御された 絶対ぶつからないドローンに人は乗る。ドバイではもう空飛ぶ車が飛んでるって知っていますか?

空飛ぶドローンを呼び出すのはスマートフォンです。スマートフォンで、車を呼ぶ、パスポート、車の鍵、家の鍵 お金の支払い、なんでも管理できるようになります。


そうなると携帯電話の形すら無いかもしれません マイクロチップを体に埋め込んでおく。あるいは腕時計になる。もうiwatchが登場してますね。 まあ、仮にマイクロチップを体に埋め込まなくても、スマートフォンは1社に淘汰されて、デザインは一つになります。なぜ一つになるか? AIがデザインを決めるからです。最も効率よく生産ができるプロダクトのデザイン。人間は色さえも選べないと思います。下着も全部同じ形 服も、いくつかの種類に分けられて全て同じ スタートックのエンタープライズのクルーの服みたいなのになると思います。

それから、そのようにAI社会になると、
もしかすると、あなたは働かなくてもいいかもしれません。ベーシックインカムどころの騒ぎではない。 ロボットが勝手に人類の食物をつくり、山を削り、金属を生産し、自動運転を制御できる街を作る。ターミネータという映画ではサイバーダイン社が人間を支配して殺すって言う話がありましが、そんなことにはならないと思います。

むしろ、AI社会では、労働力がタダで手に入る。人はあまり働かなくても良くなる。社員のいない会社?いや、会社のないソサエティ。 殺すのは個性です。

これからのデザインはどこへ行く?

働かなくていい。それはいい世界だろうか?でも。そうなると、人が好みのデザインを選ぶなんてことはできない世界になります。
ものがタダで手に入るかわりに 何でもかんでも最も生産効率の良いデザインになる。
売れているデザインが一番いいとするなら、みんなが使うデザインが一番だってことになり、AIは一番コストのかからない形はどんな形状か?という計算をして、そんなプロダクトしか作らなくなる。人の好みは無視される社会になる。

それが便利な社会だったら、それでいいや 私はデザインに興味はないから使えて便利なものがいいよ。っていう人もきっと出てくる。

この話、極論でしょうか? 今色々なデザインがあるのは、資本主義社会の競争があるからです。それが無くなる可能性があるってトヨタは暗示しているような気がする。

相対的価値観のデザイン。

もっとも、そうなるまではまだまだ時間がかかるでしょうけど
僕はそんな世界はいやだなあと思う。やっぱり相対的な好みの世界がいい。 人間は感情の生き物なんだから だれかと共感したいわけです。共感したいけど、人と違うモノを持ちたい。まあ、僕は統一化された世界になるまで生きていないでしょうけど。

これいいよねって共感して、それがわかるのは俺たちだけだよなって。それでニヤニヤしたいわけです。女の人はどう思うか知らんけど。笑

もしも、統一化に向かってAIに管理されて、デザインすら統一されたら、 人は気が狂わないでしょうか? もしそういう世界がイヤなら、一番売れているデザインがいいとか、効率的な商品がいいとか言うべきではないと僕は思います。 人の好みは相対的でなければならないのでは?なんて思う。

ブランドとは何か?

物作りそのものはを何にもとらわれず、自由に創作して。そしてお客に買ってもらおうと思ったら、作ったものが何者なのかという説明がいります。
その説明がすなわち ブランドなのではないかと思うわけです。 僕の作るものはこんなものだよっていう。

そう言う意味では、日本のデザイナーってブランドを作るには何かが足らない。というか鎖で繋がれているというか。すぐにあっちこっちかじって、何かわからないブランドにしてしまう。

イタリアに行くと。80ぐらいのじいさんが革靴をコツコツ作っていて。ちゃんと自分のブランドをもっている。
そして地元にちゃんとじいちゃんのファンもいるわけです。こんな靴作ってよって言っても、返事もしてくれない。
僕はものすごくそういうデザイナーに憧れてしまう。

日本はデザインが格式化 統一化に向かっていると思うのは僕だけでしょうか?。どこにも隙のない無駄のない。それと引き換えに面白みのない商品ばかり。
しかも経営者はそういうものが売れると思っている。なんだこれ?って少しでも思ったら商品にしない。

本当にそうなのかなあ それが望まれている世界なのだろうか? そういう世界がイヤだったら自分一人でも、独自ブランド作るしかないですよね。イタリアの爺さんみたいにこつこつと。


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