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往復書簡#6(返信) 『関心領域』を観ておもったこと

うっぢゅ to なおちゃん

なおちゃん様

エッジのナビの課題映画「関心領域」。私にとっては、鑑賞中・直後よりも、パンフレットを読んだり、監督やスタッフのインタビューを聴いたり、歴史を調べたりして、ようやく理解が追いつき、それに伴って怖さが増してくるような作品でした。

内容に触れるとネタバレになってしまうので控えますが、監視カメラのように静的で客観的なカメラワークや自然光のみでの撮影などによって、ドキュメンタリーを見ているかのような感覚になりました。また、それとは対照的に時折挟まれる特殊な演出がとても際立っており、そのどちらもが印象に残っています。

さて、なおちゃんが「ほんとうに慄然とした」というナチスの「婉曲表現」について、私は少し異なる感想を抱きました。映画の中で、ナチスの幹部たちが「強制収容所に輸送されてくるユダヤ人」を「荷物」と表現する場面がありますが、私はこの言い回しに対して、気味悪さよりもむしろ滑稽さを感じたのです。

この滑稽さの正体について考えていた時、ある別の映画が頭をよぎりました。それは『踊る大捜査線 THE MOVIE』です。この作品では、警視庁副総監が誘拐される事件が描かれています。その原因は、副総監の息子が「父親は副社長だ」と周囲に話していたため、犯人が一般企業の副社長と勘違いしたことでした。この「副総監を副社長と呼ぶ内輪的な感覚」と、ナチスの言い回しがどこか重なって感じられたのです。

ここで、隠語・符牒という言葉の問題に目が向きます。隠語・符牒は、特定の集団内で使われることで結束力を高めたり、秘密を隠したりする役割を果たします。しかし同時に、それは排他性や閉鎖性を生む可能性もはらんでいます。ナチスが「ユダヤ人」を「荷物」と表現したのも、こうした内輪的な感覚からくるものでしょう。

このような「語法」は私たちが関わっている教育現場にも散見されます。「内輪的な感覚」には独特の心地よさがあるだけに陥りやすく、抜け出すのは難しいのですが、滑稽な集団にならないために何かよい方法はないのでしょうか。時々スタッフ同士で「英語禁止ゲーム」ならぬ「隠語禁止ゲーム」でもやるしかないか..。

最後に、「オトナ語の謎。」を紹介して終わりたいと思います。

お知らせ

本文とは全く関係ありませんが、8/31(土)にラーンネット・エッジの説明会を開催します。参加者は4組前後の小規模なもので、質疑の時間も多くとることができます。どうぞお気軽にご参加ください。


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