日々|緩やかにカラダと心を変える、漢方のチカラ
「漢方を飲み始めたら人を受け入れられるようになったんだよね」ご飯を食べながら友人がそんな話をしてきた。
今日は0歳6ヶ月の息子を旦那に託して、久しぶりのウキウキ自由時間。10年来の友人と前々から約束をして隣駅まで美味しいラクサを食べに行った。
ラクサとはシンガポールやマレーシアなどで食べられているココナッツベースのスパイスがたっぷり入ったヌードルのこと。「発酵ラクサ」と銘打つ今回のお店のラクサは米麹で発酵させた特製ダレをスープのベースに使用しており、コクがあってまろやか。野菜もたっぷり使われていて「食べたら身体から幸せが発します」とメニューに書かれている通り、食べ終わったあとには程よい達成感と身体にいいモノをたべた!!という幸福感が満ちている。
以前友人と食べに行った時に、一口目から「うまい!!」と目が見開いてそのまま「うまいうまい」と一口ごとに美味しさを確認しあうかのごとく夢中で食べ切ったのをよく覚えている。
あそこのラクサ、また食べに行きたいよね。と話したのがきっかけで今回のウキウキランチに選ばれたわけです。
オープンと同時にお店に入り込んで、小さめの店内に充満する何ともいえないココナッツとスパイスのとろんとした香りを胸いっぱいに吸い込みながら席に着く。
ああ、もう美味しい。ああ、もう幸福。
なんて、トロけた頭とカラダで「最近どう?」なんてお互いの近況報告をし合う。
完母で育児をしている私にとっては久しぶりの息子抜きの身ひとつの時間。思いきり目の前の食事と大切な友人との会話に集中できる。
サッと目の前に現れた盛り盛りパクチーのラクサを食べ進む中で「え?」と箸を止めて聞き返したのは、友人が発した「最近漢方を飲み始めたら、人を受け入れられるようになったんだよね」の言葉。
友人は心の上がり下がりに苦労するところがあり、普段から心が落ちてしまわないようにする為の努力をする人。「心に効く漢方」というキーワードをきっかけに飲み始めた漢方が、どうやら友人の心の負担を軽やかにしてくれたらしい。
漢方といえば体質改善や体調不良のときに風邪薬の一歩手前みたいな感覚で飲むというイメージが一般的だけど、友人のその言葉はここ最近で私が感じる「取り入れる栄養素によってカラダが変わり、心が変わる」感覚を裏付けてくれる一言に聞こえた。
わたしも一時期、息子の夜泣きが酷くなって眠れず心身共に辛い日々が続いたことがあり、その時に当時通っていた整体師さんに「ビタミンBを飲んでみるのはどうでしょう?」と一瞬「え?」と聞き返すようなアドバイスをもらったことがある。
ビタミンBの効能についての詳細は割愛しますが、簡単に言うと食べ物からカラダへエネルギーを吸収させるのにビタミンBが重要とのこと。とにかく騙されたと思って一度飲んでみて。と、市販のサプリを試してみたら、なんとびっくり。息子の夜泣きが治まり、頭が覚醒して眠れなかったこの私がすっと寝付けるようになったのだ。
個人差があると思うのでオススメはあえてしないが、私の場合はたまたまこれが効いた。
医学的な根拠はよくわからないが、取り入れた栄養素がカラダを変えてくれたのだ。また、完母育児のおかげで私の栄養素がそのまま息子にも伝達して、良い影響を及ぼした。
そしてカラダが変わって良く眠れるようになり、以前よりすっきりと疲れが取れるようになると心が一気に晴れやかになった。
日々に疲弊してた心とカラダが「なにかやってみよう!」というエネルギーを取り戻していったのだ。
そんなわけで、漢方が心の在り方を変えたという友人の言葉は、何かしらの栄養素がカラダに良い作用をもたらし、その影響が巡り巡って心にゆとりを生んだからなのだろうと思った。
特に漢方は中国の伝統医学に基づいて調合されるものであるから、なおのこと効能がカラダに出やすいのだろうと思う。
ラクサを啜りながら「すごいな、漢方」と考えていると、あれ、まてよ、と。ふと視線を落とした先にあるこの発酵ラクサも、言わば漢方に近しい存在なのではないかと思いつく。
取り入れる栄養素がカラダを変えて、心を変えていく。音が響いていくように、やさしい影響を響かせあっていく。
今回ここのラクサが食べたい!と思わせたのも、実はカラダが心が、漢方としての食事を求めていたからなのかもしれない。
食べ終わったあと、ふぅーっと息をついて試合終了のような心地よい余韻に浸る。カラダに良いものを食べたという感覚が、心に幸福感をもたらす。
改めて、口にするもの、カラダに取り入れる栄養のあるもの、そして何より美味しいと思えるものが心身の健やかさに大きく影響するんだと実感する。
友人と共にラクサ屋さんを後にして、自由時間を満喫させてもらった帰り道、わたしも夫と息子に漢方に成り代わるような美味しい食事をつくれるようになろう、と愛が膨らむ。
まだまだ日々は育児に忙しなくて、まだまだ私は妻として母としてひよっこだけれども。
緩やかにカラダと心を変えてくれる、漢方のチカラを信じていきたいと思う。