傷と、日々と、推し
※この記事は、過激な表現を含みます。
当時の僕の状況を適切に書くために必要なので、ご了承ください。
ただ、最終的には推し活記事です。
2020年当時、僕の自殺願望はとても強かった。
コロナ禍になる以前から、死にたいという感情があった。幼少の頃からずっと、死に対するぼんやりとした憧れがあった。それが、コロナ禍という特殊な状況に置かれたことで、より強くなったのだと思う。
震災以来、回復と悪化を繰り返しながら生きてきた僕の心は、コロナ禍という特殊な状況で、完全に壊れた。
自傷行為の目的にもよるのだろう。
手首や腕といった「見える」部位を切ることはなかった。
太ももや、わき腹。服で隠れる部分を切った。
市販の睡眠薬を足して、過剰服用をするようになった。
そうしないと、自分が生きている感覚がわからなかった。
まもなく死ぬんだろうなと思っていた。
それが、自分の手によるものか、病気のせいかはわからなかった。
そんなある日、NHKで高校野球を特集した番組が放映されているのを見た。夏の甲子園大会が中止になり、目標を失った彼らにフォーカスした番組。
僕は、そこではじめて日向坂46に出会った。
…皆さん忘れていたと思いますが
これ推し活記事ですからね?
佐々木久美さんが出演されていたのだ。尊敬すべき我らがキャプテン。
球児に心を寄せるその誠実な姿に、僕は惹かれた。
恥ずかしながら、このときに初めて日向坂46を知った。
こんなに素敵な方が所属している日向坂46とは、どんなグループなのだろうか?
番組の終了とともに、僕は調べ始めた。
そうして初めて丹生ちゃんを知った。その笑顔を見て、何故だか涙があふれた。感動だったのか、それとも僕の感情が戻ってきた合図だったのかは、わからない。
泣くことを忘れていた僕にとって、久しぶりの涙だった。丹生ちゃんは、日向坂46は、僕の心を取り戻してくれた。
それからずっと、僕は日向坂46を推している。
自分を傷つける回数は、格段に減った。過剰服用はしなくなった。
悪化と改善を繰り返す日々は、今も続いているけれど。
僕が生きているのは、間違いなく日向坂46のおかげだと言える。
日向坂46の皆様、関係者の皆様、おひさまの皆様。
僕が死なずにいるのは日向坂46のおかげだと、僕は勝手に思っています。
届くはずもないでしょう。
もし届いてしまったら…と考えると胃が痛いくらいです。
でも、これだけは言わせてください。
ありがとう、これからもずっと大好きです。
どうかこれから先も、皆様が幸せでいますように。
今日は、少しだけ真面目な記事でした。
え?
普段と違いすぎるって?
…たまにはかっこいいことを書きたいじゃないか。
最近はちょっぴりセンチメンタルなのもあって、かっこいいことが書きたいんだ。
日向坂46のことを、卒業した方々のことも含め
僕はきっと生涯大切に思うのでしょう。
そう思えることが、僕はとてもうれしい。
あの日、くみてんを見つけられなかったら。
あの日、丹生ちゃんを知ることができなかったら。
僕の命は、心はどうなっていたのだろう?
ありがとう。
それを伝えたくて記事にしました。