ある書店の話
ほんの数日前のことである。
僕が大好きだった書店が閉店したらしいとの報に接した。『接した』というのはXでその情報を見かけたからであって、直接行けたわけではないから。
個人経営の書店ではない。いわゆるチェーン店。しかも、ショッピングセンターの一角にあったその店舗を僕は愛していた。
というのも、こんなエピソードがあったから。
僕は田牧大和さんの『鯖猫長屋ふしぎ草紙』シリーズのファンである。
ある日僕は、その新刊を買うために店に立ち寄った。
まっすぐ新刊コーナーに向かうが、平積みの中にはない。一箇所だけ、何も積まれていない場所があった。どうやら、そこに『鯖猫』の新刊が置かれていたらしい。
僕はがっかりして、違うコーナーに移動しようとした。
そのとき、三人の店員さんがこちらを見て話していることに気付いた。一人の男性店員さんが駆け寄ってくる。
その手には『鯖猫長屋ふしぎ草紙』の新刊があった。
驚きつつも話を聞くと、僕の方を見て話をしていた店員さんたちが、いつも僕がこのシリーズを買うので取り置いてくれていたらしいことがわかった。それを、一人の店員さんがわざわざ持ってきてくれたらしいとのことだった。
いつも買っている本を含めて僕を覚えてくれていたこと。
僕が買うことを見越して、本を取り置いてくれていたこと。
笑顔でそれを持ってきてくれたこと。
後にも先にも、本屋でこんな嬉しい経験をしたことはなかった。
それから数年が経って、当時の従業員で店に残っているのは本を持ってきてくれた男性店員さんだけになっていた。
僕自身の体調悪化に伴い、行く頻度も減っていた。コロナ禍も足が遠のく理由のひとつになった。それを、悔やんでいる。
閉店すると知ったのはまさに閉店するその日の夜のことで、僕は残念ながら向かうことができなかった。
少し前にでも知っていたのなら、花束のひとつでも買って行ったのに。
悔しくて、悔しくてしょうがない。
だから僕はこの出来事を記事にした。
店名は書かない。
だけど、もしあのときの従業員の方々がこれを読んでくれていたら、僕にとってこれほど嬉しいことはない。
届けたかったありがとうは、ここに綴って残すことにします。
僕の読書は間違いなく、あなた方に支えられていました。
大好きです、ずっと。
ありがとう、いつかまた。
普段とテイストが違う、しんみりした文章で申し訳ない。
書店の減少、と言ってしまえばそれまでだが、僕にとっては居場所を失ったような心持だ。悲しくて、悲しくて仕方ない。
あの店で買った本の数々を手に取るたびに、『鯖猫長屋ふしぎ草紙』を読むたびに、僕はあの優しさを思い出すのだろう。
どうか、あのときの皆様が幸せでいますように。
願いを綴って、この文章を終える。
すごく寂しいな、と呟いてしまう。