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「発想の転換をしようじゃないか」 目の前にいる少年は叫んだ。左脇に数冊の本を抱え、こちらを睨んでいる。その目はやや血走り、涙に濡れていた。 「…この知識は必要なものだ。人間として正しい知識なんだ。なあ、そうだろう?僕がこの知識を得ることは、世界にとっても有益な出来事のはずだ!」 彼は聴衆に向かって叫ぶ。聴衆は冷ややかな目で彼を見つめている。同意を得られないとわかるや否や、彼は地団駄を踏んだ。 「くそぅ、どいつもこいつも。どうして、この本の素晴らしさがわからないんだ!」
発端は一人のタレントだった。 「年越しはね、そばじゃない。ラーメンですよ!」 そば屋店主・区界庄吉はこの発言に激昂した。生まれてこの方、年越しはそばと決まっている。それを法律で定めぬ国のせいで、こんな人間が育ったのだ。 区界はそのタレント――高松俊が所属する芸能事務所に、果たし状を送った。 「大晦日、除夜の鐘が鳴る頃。盛岡駅にてそばを用意して待つ」 高松はこの果たし状を冗談としてSNSで公開した。瞬く間に拡散され、当日の盛岡駅には人が殺到した。 駅前の広場に、二人
縞ほっけが人を襲った記録は、2025年を皮切りに多く残されている。 最初の犠牲者が出たアラスカでは『デンジャー縞ほっけ部』ことDAMCが発足され、人類と縞ほっけの闘争が始まることになる。 人類は縞ほっけを喰らった。居酒屋で、家庭で、あるいは定食屋で。 縞ほっけもまた人を喰らった。 その争いは長く続き、『海洋100年戦争』と呼ばれることになる。 「…何、この話?」 「居酒屋で酔い潰れてたおっさんが寝言で言ってたんだ。『人類と縞ほっけの闘争』って」 「…で、それを新作に
冬の夜に吸い込まれて消えてしまったのは、ブラスバンドの音だけだったのだろうか。僕の口から零れた「好きだった」という呟きも、この闇が飲み込んでいてくれることを願った。どうか、その心に触れる前に。 君は少しだけ首をかしげて、それから廊下に目をやった。馬鹿騒ぎする男子生徒たちの奇声。青春を強要する学校が、僕は大嫌いだった。 「過去の話なんだね」 目も合わせずに君は言った。長く伸びた髪が少しだけ揺れている。少しだけ笑いの混じった声に、僕は安堵する。 「仕方ないだろ」 静かにな
その旅館で不思議なことが起きるようになった頃、私はこの土地に戻ってきていた。誰もいなくなった実家を放置できなかったため、仕事を辞め、この町に戻ってきたのだ。 家の古い窓を開け放つと、遠くに山が見える。その山の麓に建つ旅館は、遠く昔、安土桃山の時代から続く老舗といわれている。 あの旅館には『桐の間』という部屋がある。かつて参勤交代に向かう大名が休み、窓から見える桐を褒めたといわれている部屋だ。 その部屋の窓が勝手に開くようになったのは、私が戻ってくる少し前だったらしい。 隣近
「知ってるか、部長の話」 同期の宮田が耳打ちする。僕も話したくてうずうずしていたところだ。 「ああ、知ってる。忘年会の後『全部』忘れたんだって?」 「そう。自分のことも、会社のことも全部」 僕たちは部長が『いた』デスクを見る。主を失ったそこには、封筒がひとつ置かれていた。 「なんだ、あれ」 宮田が立ち上がる。僕もあとに続く。封筒を手に取り、中を取り出すと紙が一枚。そこにはこう書かれていた。 『以下の人物は社内規則違反のため、記憶抹消と再度の教育を命ずる』 僕た
いつからか、君は学校というところに通うようになった。 ランドセルとやらを背負い、君は毎日学校に行った。 背が伸びて、髪が長くなって、君は僕たちとは遊ばなくなった。 部屋の隅っこ、棚の上に飾られた僕たちを手に取ることは、減っていった。 それでも、毎日必ず言葉をくれた。頭を撫でてくれた。 つらそうな日、悲しそうな日。 どんな日々も君は乗り越えてきた。 君が3歳の頃、僕はサンタクロースに連れられてこの家に来た。 それから毎年、サンタは僕の友達を連れてきた。 僕よりモフモフのテデ
閉店間際のスーパーの売り場で、釜揚げ師走を見つけた。 「やっと…あったー!」 私は釜揚げ師走を天に掲げた。これで私たち家族は年を越せる。 2024年を境に、12月が来なくなった。 学者たちが調べたところ、時空の歪みにより12月だけが結晶となってしまい、その結晶を摂取しなければ12月、果ては次の年を迎えられないことが判明した。 私たち家族はずっと2024年にいた。 何度も繰り返した11月も今日で終わりだ。 時空が歪んでいる割に、成長や老化は止まってくれなかった。 息子は
町内で開催されたフリマ。 「山のもの、売ります」という旗に惹かれ、僕はその露店の前で立ち止まった。山菜やキノコ、ジビエ。山の食材に関心があったのだ。 だがそこで売られていたのは、壊れかけたテントや使い古されたアイスアックスなど『山で使う』代物だった。強いて名を付けるなら『山岳フリマ』といったところか。山のものには違いないが…。 「お兄さん、こいつはどうだ?」 店主ががさごそと何かを取り出し、にやりと笑った。 それはマツタケだった。 「闇ルートから仕入れたんだ。トぶぜ、
【SS】鳥居の上に腰掛けて 月明かりがぼんやりと拝殿を照らしている。 私は境内を走り回り、君を探した。 「こっち、こっち」 声のした方を見ると、鳥居に腰掛けている人影が見えた。君以外にそんなことをする罰当たりはいない。 「…下りて来て」 私が言うと、君はにっと笑い 「君が上がっておいでよ」 と言った。 「駄目だよ。罰が当たる」 「そんなことないよ。景色が綺麗だよ」 「…」 隣の木に登って、そこから鳥居に飛び乗る。みしっと嫌な音がして私の身はすくんだ。それを見て、君は大声で笑
凡造、と名前を呼ばれて僕は振り返った。 沙綾が僕を見つめて立っている。白愛大学の構内。 僕は何度この光景を見ただろうか。 他の誰も気付いていないことだが、僕らは同じ『今日』を繰り返しているようだ。 十回目までは数えていたのだけど、途中で飽きてやめた。 タイムループというと狂う人がいたりするのがフィクションの定番だけれど、僕には案外居心地が良いものだった。 最良の『今日』を見つけるため、さまざまな選択肢を試してきた。実を言うと、僕の行動が世界を滅ぼすパターンもある。何度目かの