古代のキーマン(だと勝手に思ってる)
記紀には思ったより人間臭い神々が描いてある。
身長がデカいとか
歯並びがキレイとか
とんでもない恐妻家とか
骨肉の争いとか
その中でも昼メロチックな、物語性の高いお話が
狭穂彦王の反乱
ざっと概要をまとめると
垂仁天皇の皇后である妹の狭穂姫に兄の狭穂彦は
お前はオレとあいつ(垂仁天皇)とどっちを愛しているんだ!
と迫り
お兄さんを愛していますという狭穂姫に寝てるあいつをナイフて刺せと命じ
狭穂姫は寝入っている垂仁天皇を刺そうとするが出来ずに垂仁天皇に全て暴露する。
謀反がばれて追手のかかる狭穂彦を助けるため、髪を切ってまでも狭穂彦の所に行く狭穂姫。
狭穂姫は妊娠していた。
逃げ切れないと2人は火を放つ
追いかけて来た垂仁天皇に生まれた子を託し、狭穂姫は兄の狭穂彦と炎の中に消える。そんなストーリー
丹波道主命
大彦命、吉備津彦、建沼河別命とともに四道将軍と呼ばれた。ヤマトタケルの曽祖父
狭穂彦、狭穂姫、丹波道主命
3人の共通点はお父さん
日子坐王(ヒコイマス)
日本書紀にはさらっとしか触れられていないけれど
古事記にはやたらと丁寧に系譜が書かれている。
丹波から美濃、大和など勢力圏は大きい。
『古事記』に見えるように、彦坐王は春日・沙本・山代・淡海・旦波ら諸豪族を血縁で結ぶ地位に位置づけられている。このことから、彦坐王の系譜は和珥氏や息長氏を中心とする畿内北部豪族らにより伝えられたとする説があるほか、そうした畿内北部における広域的な連合政権の存在の暗示が指摘されている。
なお、垂仁天皇朝に見える狭穂彦王(沙本毘古王)の反乱伝承から、「崇神 - 垂仁」に対立する「彦坐王 - 狭穂彦」の皇統があったとする説もある。
(Wikipedia抜粋)
日子坐王を祖とする氏は多く、伝承がたくさん残っています。
そんな日子坐王に目を向けるのも「私の推し」のおかげです。
「銀金」には狭穂姫も狭穂彦も丹波道主命も日子坐も日葉酢媛も宿禰も出てきます。