見出し画像

浅次郎について

2月に初めて会った、オオモニョニュシ(長男)のお嫁さんのお爺さんが亡くなった。
あんなに元気だったのに。
急逝だった。
どんな人にも平等に死は訪れる。それは仕方の無いこと。
今元気なビコニャの母も、問題行動ばかりのオオニャムチ(旦那)の両親もそう遠くない未来には会えなくなってしまうのだろう。
そういえば前に自分のルーツの話を書いたと思う。
あれから母に話を聞き、もう少しだけ自分のルーツが明らかになった
浅次郎はビコニャの母方のお爺さん。
いとこのたきよと一緒に長崎から宮崎に移り住んだ。
たきよはビコニャのお婆さん。
浅次郎はたきよと11人の子どもを作り、農業をして一生を終えた。
どこでもよく歩く人で、今では有名になった滝を見つけたらしい。
11人兄弟の下から3人目がビコニャの母。
母の名前でもうこれ以上子どもは増やさないという意思が見える。
でもその後2人増えている。
ビコニャには浅次郎の記憶は無い。
たきよについてはもしかしたら記憶が有るかも知れないけれど母方はビコニャを含め、似ているのでわからないというのが本当の所。
ビコニャの母は14歳で親元を離れている。
歴史の授業で習ったと思うけれど、
ブラジル移民

この中の少なくとも2人は浅次郎の息子。なのでビコニャのいとこがブラジルにいる。
母は集団就職で始めは岡崎に来ていた。

当時は金のたまごと呼ばれたらしい。
浅次郎のあとは長男が継ぎ、そのあとも長男が継いだ。二男は養子に出された。
浅次郎は11人の子どもを設けたが、母の実家は母の兄の長男が亡くなる事で無くなってしまった。
たった3代での事だった。
因みに金のたまごだった母は岡崎でガラ紡をやっていたらしい。
岡崎が田舎すぎて耐えられなくて大阪に行ったと言っていた。

宮崎から出て来て岡崎が田舎だと?! 

と、なかなか衝撃的な発言にびっくりした。

浅次郎は近代史の中にいた

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?