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英語ギライだった僕がアメリカで仕事をする未来
学生時代、英語は「やらなきゃいけないから仕方なくやる」存在だった。
全然楽しくないし、テストの点数も伸びない。文法なんてさっぱり理解できず、授業中も苦痛でしかなかった。
大学に入ってからはさらにひどく、ほとんど英語を勉強せず遊んでばかり。一気に英語力が落ちたのを実感していた。海外への興味もゼロ。
親戚や友人に海外留学や海外で働く人もおらず、そんな世界は自分とは無縁だと思っていた。
将来については、算数や数学が得意だったこともあり、税理士や銀行員になれたらいいかな、とぼんやり考えていた。
その延長線上で経理職に就職したが、初めから壁にぶつかった。
いきなり海外子会社との英語でのメール対応が始まったのだ。
文面を考えるのに時間がかかり、正直苦痛だった。それでも、繰り返しやるうちに段々と定型的な言い回しがわかるようになり、相手に伝わる文面を工夫できたときは少し嬉しかった。
嫌いな英語だったが、「避けて通れない」と改めて思い直し、最低限の英語力を維持するためにTOEICだけは定期的に受け続けた。
転機となったのは、ある日突然、アメリカ出張の話が舞い込んできたことだ。
アメリカ子会社を担当して間もない頃で、部長から打診された。
中国は気が進まなかったが、アメリカなら行ってみたいという思いがあり、迷わず答えた。
初めての海外出張は何もかもが新鮮で、現地で働く日本人は自分には眩しく見えた。中でも3時間にわたる英語だけのマンツーマンミーティングは本当に大変だったが、それを乗り越えた達成感は大きかった。
観光にも連れて行ってもらい、たくさん写真を撮った。
その時の気持ちは一つ、
「これは思い出に終わらせたくない。いつか必ず戻ってくる」
という強い決意だった。
出張をきっかけに、海外で働くという新たな目標が心に芽生えた。
その後、出張で得た経験は自分のモチベーションを大きく高めた。
海外業務を担当する機会が増え、他国にも出張に行くようになった。
英語力向上のための社内研修にも推薦されるなど、徐々に海外でのキャリアに近づいている実感があった。
しかし、アメリカで働くという夢はまだ遠かった。
財務部門で海外勤務をするなら中国が主流でそれ以外の選択肢はなかった。
だんだん国内での仕事が増え、出張を見送ることも増えていった。
そんな中、再び転機が訪れる。
急遽アメリカ子会社に人員を送る必要が出てきたのだ。願ってもいないイレギュラーが起きた。
部長から打診され、迷いなく返事をした。
こうして、英語を避けていた自分が、アメリカという地で仕事をする未来をつかむことになった。
アメリカでの生活が始まって、最初は戸惑いの連続だった。仕事のやり方も、日本とは大きく異なる。
指示を待つ日本的なスタイルではなく、自ら主体的に動くことが求められる。
最初は何をどう進めればいいかわからず、ストレスでどんどん体重が落ちた(ハンバーガーを食べていくうちにあっという間に戻ってしまった)。
生活スタイルの違いにも驚かされることばかりだった。
車社会のアメリカでは、どこへ行くにも車が必要だし、スーパーの規模も日本とは比べものにならない。
そんな環境に順応するのは大変だったが、一方で異文化に触れることは好奇心を刺激し、毎日が新しい発見の連続だった。
職場には本当に多様な人種の人々が集まっており、彼らの異なる背景や価値観に触れるたびに、自分の視野がどんどん広がっていくのを感じた。
それは、自分にとって何よりもワクワクする体験だった。
英語は、まだ拙い部分もある。日常会話ではつまずくことも多いし、メールの文面を考えるのにも時間がかかる。
ただ、昔のような「嫌い」という感情はもうない。
「やらなければならない」と自分を追い込むのではなく、英語を使うことで仕事が進み、コミュニケーションできることに喜びを感じられるようになった。
英語が苦手だった自分がアメリカで生活し、働いているなんて、過去の自分には想像もできなかっただろう。でも、あの頃の苦手意識を克服したからこそ、今の自分がある。
そして、これからもこの異文化の中で成長を続けたいと思っている。