庭屋の日記 はじめます。
2024年1月から
屋号Middleとして兵庫県の西宮で庭つくりの仕事をはじめました。
はじめましたといっても
もちろんすぐ自分の仕事があるわけはなく
修行時代にお世話になった方や
新たに紹介してもらった方の
現場応援として仕事をさせていただいています。
月に合わせて2週間ほど、手伝わせてもらい
それが今の主な収入源になってるって感じです。
独立前に勤めていたところと比べると
月約半数の実働で、
同じほどの給料をいただけるのには
最初は嬉しさと驚きがあり
3月に結婚し支出は増えましたが、
この収入だけで暮らしていく事ができました。
でも二、三ヶ月もすると
じわじわと危機感も
感じられずにはいられませんでした。
その甘い恩恵を一度受けると
中々抜け出せなくなってしまうんじゃないかと思い怖くなって
現場が早く終わったりした時は
三宮にある事務所まで行って
本を読んだり、情報を仕入れたりして
なんとか気を紛らわすというか
一生懸命仕事してる感を出して、
自分自身を納得させようとしてました。
これを書いている今もそうなんですが 。 。
と、まぁ独立してからの簡単な導入は
この辺までにして話は変わるのですが
(また修行時代や勤めていた時の事についても
書いていこうと思います。)
この章本題は
なぜノートをつけていこうと思ったかということ。
ポイントは二つあって
ひとつは、自分が何がしたいのかを
もう一度深く考えてみること。
勤めていた時にも時間はあったと思うのですが
日々の忙しさを言い訳にして、
目の前の娯楽や誘惑に負け
中々真剣に考えるきっかけみたいなものがないまま
ふとしたタイミングで独立したのです。
だから、このノートで今自分が考え、
感じていることや
過去の自分の経験や文脈から
もう一度自分と向き合うきっかけになればと思うし
この先、自分の進むべき道が
わからなくなってしまった時の
方向性を示す道標的なものになればいいなと。
もう一つは、伝えるということ。
もちろんインスタグラムなんかで写真をアップして
関わった庭や面白いことを
発信していきたいのもあるけど
ちゃんと文章としても伝えていけたら
いいなと思う。
庭は、写真みたいに二次元で伝えられることは
ごく限られているし
その存在自体も浅く薄くなり
すぐに消費されていくものになってしまう。
定義付けするつもりはないけれど
庭ってもっと生活に根ざしたものだし、
時間と共に変化するもの。
作っておわりじゃなくて、そこからはじまるもの。
庭が時間と共に、内包してくれるいろんな事象に
目を向け耳を傾け肌で感じてほしいと
心から思います。
あとは大阪で植木屋をやっておられる
GREEN SPECE の耕造さんの影響も。
ある事をぼんやりと考えていたり
これってどういう事なんだろうって
言葉にするのが難しい自分の頭の中の状況や悩みを
経験や知識から文章を通して伝えていく事が
素直にすごいなと思ったし
僕も真似したなと思ったからです。
元々、何か自分で考えたり感じたりしたことを
表現したいけど
小っ恥ずかしさみたいなものと
僕なんかがそんなことしても 。 。
という根暗とネガティブが顔を出して
こんな長文を世に出すことなんて
考えてもみなかったのですが
独立して新しい道に進んでいくときの
初期衝動のパワーと
耕造さんの文章に勇気づけられて
書いてみたところです。
あと、まぁノートなんて僕に興味のある人しか
見ない!っていう
制限された安心感なんかも多分含まれています。
次の章は
Middleについて書いていけたらと思います。