カッコーの巣の上で(映画感想~子育てを振り返る)
ある方に読書を薦められて。
でも映画化されていたことを知り、今しがた観終えました。
精神病棟の話です。
~引用
精神異常を装って刑務所での強制労働を逃れた男が、患者の人間性までを統制しようとする病院から自由を勝ちとろうと試みる物語である。~
映画版を観たので、小説の原作主人公とは違うようです。
私が適応障害者であることも踏まえつつ
観てしまいました。
私は、ビリーという役の人の気持ちが一番わかりました。
ビリーとは、最後に自殺してしまう青年です。
主観が入ります。
(感想文なので)
ビリーは恋をした。好きな女性が出来た。
でも、彼には母親が彼を抑圧していた背景が読み取れる。
多分、愛情という武器を盾に。
そして、息子にとっては一番好きなお母さん。幼い頃に刷り込まれた主従関係。
ビリーのお母さんは、彼をコントロールしていた。愛情という盾を武器に。逆らえば機嫌も悪くなり、ビリーは嫌われたくなかっただろう。病気になるまでの葛藤が読み取れた。
コントロール=管理であり、本来大人になるに連れて、自立しなければならないのだが、籠の中の鳥と化していたビリーは自立する事を教えられなかった。
作中、主人公がビリーに女性との性体験をさせてあげるシーンがある。
彼は、その瞬間、自立していた。自信に満ち溢れ、吃りがなくなり普通に話ができていたシーンが描かれています。
籠から飛び立てそうなビリーを、ビリーのお母さんの親友である婦長が「お母さんが知ったらどう思う」と発言。そのすぐ後ビリーは自殺してしまう。
あの時、婦長は例え規律上良くないことでも、彼の身に寄り添う発言をしていたなら、彼の病気は少しは良くなっていたんだろうと、自殺は避けれたのであろうと考えました。
でも、婦長は、お母さんをビリーに連想させることをした。
脅しだと思いました。
弱味につけ込む発言。
婦長には婦長の考えがあったのでしょうが。
管理する方は、皆同じ方向を向いてくれたら管理しやすいです。善悪の基準が皆同じだと、言い聞かせるのもラクです。
なぜ、ビリーに焦点を当てたのか。
少なからず私もそうだったから。
母も私を管理していた。
ある種の洗脳があった。
母は私にとって絶対だった。
可愛がってくれた事も、母なりの、愛情もたくさんもらった。
でも、
叱られるときは、ダメ人間のように人格否定された。時には、叩かれたり、髪の毛を引っ張られたり、モノを投げつけられたり。
叱られる理由も私には納得がいかない理由が多かった。無理やり謝ることを強いられた。
母も精神疾患者だったと思う。
自立を教えられて来なかった私は、
多分、自分を守るため、
母のいうことに従う
当たり前の娘になっていた。
過保護で可干渉な親が最近凄く増えている。
自身の経験。
息子、小学生。
忘れ物、当たり前のように届ける親が多いらしい。
そして、
擦り傷ひとつの話でも
水筒が壊れた話でも、
体操着が泥だらけになった話でも
ひとつひとつに先生が過敏に反応して。
逐一電話。
仕事中、何事かと思ったらそんな話で。
親がうるさいから。過敏になってる。
息子、中学生。
親が強制的に塾に入れる。
学校も塾に行くのが当たり前のスタンスで話してくる。
でも、やる気のない子供たちはsnsに不満の書込み。
やらされているのだ。
反発する子はまだマシなのかもしれない。
自我が育っている証拠。
子供には少なからず、親の価値観が影響している。
そして、親が生きる時代の世間の価値観がそこには垣間みえる。
私は、今は母親のコントロールを離れて生きているが、影響力は消えない。
母と似ている自分を見つける。
自分の息子たちを同じように育ててはいけない。
でも、母から教えられた育て方しか知らない。
だから、昔のように近所のおじちゃんが叱ってくれたり、おばちゃんが助けてくれたり。皆で育ててもらう事って大事だなって思う。本を読むことも。映画を観ることも。
色んな価値観を知る勉強になる。
今は、自分の二の舞にならないように、
きちんと自立して、
自分の足で立っていけるように、
自分の人生を誰かの責任にしないように、
育てる事が今の私の子育て目標。
「カッコウの巣の上で」は、作者の意とは違うかも知れないけど、そんなことを考えさせてくれる再確認させてくれる物語でした。
余談
家庭菜園も同じだと思った。
強い幹を2、3残して、後は整枝する。
早い段階で。
茄子もキュウリもトマトも。
それがセオリーのようだ。
でも、私は切ることができない。結構放ったらかして。めんどうなのもある。
沢山の枝を伸ばしてしまう。
結果、沢山の実をつけるが大きくはならない。
何故かって、土の栄養が分散されるから。
結果、大きな実は取れにくい。
でも、生きようとしている可能性の芽をみつけたら生かしてやりたくなる。
結果、後悔も多いけど(笑)
整枝もコントロールだよねって思った。
まして植物は逆らえない。
子供と同じだ。
良い悪いは別にして人間って、DNAレベルで、コントロールの欲求が誰しもに身についてるんだと思う。自分を守るために。
コントロールをする者は、上善如水のような人でないといけないと思う。
コントロール自体は多分悪くない。
コントロールは武器。
使い方次第。
状況に応じて、
臨機応変にその武器を使えるのか。
なのだろう。
先日、「上善如水」のお酒を買った。
そして、このお酒は口当たりが良く飲みやすい。癖がない。
終わり