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普通になれないけど平凡なわたし

最近やっと就活を始めて自己分析をしたのだが、あれ、わたし、良いところとか、アピールポイントなくないか?と気づいてしまった。

そして自分の嫌なところばかりが頭に浮かぶ

ズボンは脱ぎっぽかすし、部屋はすぐ汚くなるし、ダイエットは続かないし、、、

ほんとにダメ人間なのである。

でも、そんなわたしでも、本音で話せる仲間はいるし、気にかけてくれる先生はいるし(主に成績面。わたしは卒業が危ういどころかほぼ留年確定である。すなわち気にかけざる負えないだけ!!!バーカ!!!!)、バイト先の常連さんは野菜くれるし(常連客には農家のお年寄りが多い)ってことは!周りに優しくされるってことは!わたし!良いところあるのでは?(呑気)と思いインスタのストーリーで助けを求めた。

就活してるけど良いところが分からなくて困ってる助けて!みたいな雑な文章を添えて。

それに対して、本当にありがたいことに、皆んな忙しいにも関わらず、しっかり答えてくれて、逆に申し訳なくなった。ストーリーで気軽に聞いてはいけない案件だった。申し訳なさすぎてすぐにストーリーを消したが、送られてきた返答は大事に使わせて頂こうと思う。


後からわざわざ連絡をくれた人もいる。

その人が言ってくれた言葉は間違えなく、 
わたしにとってのイチゴのタルトだ。 
(大豆田とわ子の2話を観て、、!)
 

自慢したいけど、自分だけの物にしていたいような、すごく大事な言葉。
(以後文章まとまらなかったので分かりづらいです、、ただの記録になってしまいました。申し訳ない。いやまあ、いつもですよね。)

簡単に、かつ、包みながら言うと、
わたしは偏心しているように見えてバランスが良いらしい(?)
(嗚呼素敵な言葉がわたしのせいで少し錆びてしまった瞬間、、、無念)

頭が良くないわたしには粋すぎて難解すぎて解説させてしまったし、解説してもらって文章の意味は分かったけれど、それがどうわたしの良さに繋がっているのかは、ごめんなさい。分からなかった。何年後かには分かるかな?
けど、わたしにとっては宝物 

いつか忘れてしまうんだろうか、、、
いやだ!忘れたくない!!
と脳内のわたしがのたうちまわった。

そして、その人はわたしにとって大事な人だからこそ、その人がわたしを表した言葉を宝物に感じる。
というわけでは決してない。(他の人には表現できないだろうけど)
加えて、わたしを表現した言葉じゃなく、誰かを表現した言葉だったとしても、その言葉に惹かれていたと思う。
だって、言葉そのものの力が圧倒的に強すぎる。
どんな形であれ宝物になってしまう。

わたしも取り敢えずキラキラした言葉を並べて人を褒めたり、表現したりするのでなく、
たとえ嫌でも抗えなくて心に刻み込まれてしまうような、好きとか嫌いとか身内とか敵とかを抜きにして、あるいは飛び越えて、
すべての理屈という理屈をなしにして、
表現されたものだけに惹かれてしまうような、
そんな言葉で表現する人間になりたい!
と強く思った。

就活における「将来なりたい自分像」の欄には書けないことかもしれないけれど、わたしの奥底にこの思いはずっとあり続ける!忘れないでわたし!

あ、遅ればせながら、あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。

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