「覚悟」が友人の命を救った話
アメリカの高校の「授業(クラブ活動ではない)」でブラスバンドを選択した息子は、地域No.1パーカッション・チーム一軍の一員。夏休みの後半は、連日早朝から夜までのブートキャンプに参加して充実したパーカッション三昧の生活を過ごしました。
そして、新しい学年が始まる直前の週末の午前、連日の練習の準備や送迎を支えた親の有志メンバーの企画で、ブートキャンプの打ち上げパーティーが近所の湖畔の公園で開催されました。
学校が始まる前なのに必須で参加している新入生も含めて、ブートキャンプへの達成感を分かち合う、高校全4学年でチームとしての一体感のあるパーティでした。
最初は湖畔で遊んでいた子供達は、40度を超える真夏のテキサスの太陽の下で、次第に湖に入って遊ぶようになりました。そして、遠浅の湖で気づけば100mほど先で、騎馬戦などを楽しむようになりました。腰上の水位で足がつくし、波も穏やかで、子供達は安心していたのでしょう。
結構な時間が経ち、あまりに遠くにいる子供達に次第に母親たちが心配し始めました。母親たちが戻るように何度も何度も声を掛けて、ようやく帰る準備を始めました。そして、事件が起こりました。
歩いてたどり着いた遠浅の地点から、歩いて帰れると安心していた湖底が、時間と共に削られて、足がつかない場所が想像以上に広がっていたのです。そして、泳ぐのが得意ではない子供が、想定以上に泳ぐことになり溺れました。
息子 大朗(タロウ)は5歳から水泳を始めて、テキサスに来てからは地元のYMCAのSwim Teamで練習してきた競泳選手です。訓練はされていませんでしたが、溺れる人への対応は知っていました。そして、大朗が溺れた友人を救いました。
知識はあっても実践は初めてで、思うようには行かなかったそうです。最初は溺れる友人に捕まられて、大朗も一緒に溺れそうにもなったそうです。自分が生き残るために、なんとか溺れる友人を振り解いて、大の字になって背浮きして自分の呼吸を整える必要もあったそうです。
恐らく一瞬の出来事だったに違いありませんが、大朗にはとても重い長い時間だったと思われます。目の前で溺れる友人を救えない可能性を、現実として受け入れる葛藤と覚悟の時間だったと思うからです。
15歳の青年にはとてつもない葛藤だったと思います。そして、どうなっても生き残る覚悟を持てた息子を心から誇りに思います。
幸いにも、溺れていた友人も、状況を受け入れる覚悟が持てたと想像します。その上で自分にできることは大の字になって背浮きする事しかないと無意識にも覚(さと)れたのかと思います。他の大いなる力が助けてくれたのかもしれません。溺れていた友人は上を向いて、背浮きの状態になったそうです。
そして、その状態であれば、そのまま湖岸の方向に大朗が連れていけることができました。湖岸に近づいた段階で大人に助けを伝えることができました。
私は、それに気づいたある母親が血相を変えて湖に駆け込む様子を少し離れた木陰から見ていました。尋常ではない様子から危機を察して、周りにも助けを求めつつ、私も湖に走り込みました。
私がたどり着いた時には、溺れていた子供は水上で呼吸を確保できており、それを大朗と先に救助に来た大人が泳ぎながら支えていました。私も足の届かない深みで、私なりに必死に救助を手伝うことができました。
不幸中の幸いですが、溺れた子供は意識もしっかりとしていました。念のために緊急病院に向かいましたが、肺にも水は入ってなく、すぐに元気になったとのことです。
結果的に我々のグループでは大事になりませんでした。
しかし後で警察に確認すると、その湖畔で過去たった二週間の間に3名が水難事故で亡くなっていたとのことす。この事件後、警察は湖は封鎖しました。
本当に紙一重の状況でした。
湖の救護隊の担当者に状況を説明した大朗は「君が友人の命を救った」と伝えられました。
ただ、より状況を深く理解すると、この事故は単純な救助の話ではありません。友人の死、自分の死という究極の覚悟を突きつけられて、それを勇気を持って受け入れた二人の高校生の勇敢な話でした。
友人の命を救った以上に、そんな究極の状態で覚悟を持てた息子を心から誇りに思います。そして、覚悟のあった息子の友人に心から感謝します。
息子のような覚悟を持てるように、私も精進したいと思います。
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