【乱文】生きるということは死に続けるということだよ。
彼はそう言った。
生きることは小さな死の連続であると。
「彼」というのは誰か特定の誰かでもないのだけど、たまに、ふとした時に降りてくる言葉のことを私はそう呼んでいる。
小説を書かなくなってからはあまり口を開くことがなかったけれど、今日たまたま久しぶりにそう言い出したのでメモっている。
生きることは消費するということだという。
ある意味無駄にするということだ。
生きることは死に向かうということだから、無に還ろうとすることだとも言える。
だから、生きることを教えるということはどう死ぬかを教えることでもあるのではないか。なんてことも考える。
一生というのは残酷だ。
どんな生き方をしても。
どんな残酷な目に遭っても。
どんな環境で育っても。
死ぬ時はまるで「オチ」がついている。
納得できなきゃ救われないからだ。
虐められた経験も
親に蔑ろにされた経験も
こうして今苦しんで迷っている時間も
きっと死ぬ時には「それで良かった」と夜迷い事をぬかすのだろう。
最近はつい考えてしまう。
これ以上生きて何になるのか。
誕生
保育園
小学校
中学校
高校
大学
労働
老後
人生のイベントのほとんどは終わったようなものじゃないか。課せられた義務は終わっただろう。何十年も続く労働と、僅かに与えられるか分からない老後の時間に価値が見いだせなくなってしまった。
生きていく意味がわからなくなってしまった。死んでいく意味もわからない。なんのために死ぬのか、死んだ後に何が遺るのか。
もし何も残らないのなら、生まれていないのと同じだろう。
今日も誰かの命日だ。
ありふれた人生から外れてしまって、空っぽの自分を見つめ直して、これからどうなるかわからない。与えられたものだけこなして、自発的な行動は何一つできていない。
あーあ、甘えた屑のできあがりだ。
モノとカネに溢れた世界に生まれて
教育も受けて
家族には愛されなかったけど
当たり前のものを当たり前に享受しつづけた結果できあがったのは、膨れ上がった『甘え』と『怠惰』の腹を抱えた人間1人。
社会に恵まれ守られ育てられたのだから、
これからは社会のために働くべきだ。
条件付きの愛情は、添加物だらけのピンク色のケーキのようだと思う。
今更純白のケーキなど味がしない。
残酷な現実を謳うだけうたって、何がしたいのかも分からない。だけど、今の状態の私にしか書けない文章だ。
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