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ジャスパー・ジョーンズの作品の特徴を解説!【高額な理由、時代背景、3つの注目のシリーズ】
偉大なるアメリカを象徴するかのような、重ねられた3枚の星条旗。
この作者、ジャスパー・ジョーンズは、戦後のネオ・ダダの代表的なアーティストで、アメリカの美術界を牽引してきた人物です。
ネオ・ダダ? 何それ?
この記事では、そんな疑問に答えながら、彼の生い立ちや代表的な作品を解説します。
美術史に名を残す、ジョーンズの仕事をみていきましょう!
1. 特徴的な技法とモチーフで、ネオ・ダダを牽引
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ジャスパー・ジョーンズ(Jasper Johns)は、アメリカ抽象表現主義における最後の世代の作家で、1950年代の始めにアメリカで台頭した美術動向“ネオ・ダダ”の先駆者として、ロバート・ラウシェンバーグと共に語られる重要なアーティストです。
※ネオ・ダダ:20世紀前半のダダイズムの反権威性を継承し、50年代にアメリカのアートシーンで支配的だった抽象表現主義の情緒性への反発として、1950〜60年代のニューヨークで起きた芸術運動。
コラージュ、アッサンブラージュ、ファウンドオブジェクトなどが代表的な技法であり、また日常のごくありふれたものや廃物(ジャンク)を材料として使用、「ハプニング」などパフォーマンスを展開したことが特徴。
彼は、旗や標的(ターゲット)、数字、地図など既存のイメージやモチーフを反復して用いながら絵画を描くため、多彩かつ複雑に作風を展開させました。
代表作にアメリカの星条旗を描いた《旗》、《4つの顔のある標的》などがあり、1993年に高松宮殿下記念世界文化賞・絵画部門受賞を、2011年には当時の大統領であるバラク・オバマから大統領自由勲章を受賞するなど、まさに、アメリカにおける代表的なアーティストと言えます。
また、ネオ・ダダのそれまでの芸術の概念を否定するかのような反芸術的な態度は、アンディ・ウォーホルなどの後世の作家の表現に続く道を開拓したと言えます。
この点において、ジョーンズたちが、“ポップアートの先駆者”と称されます。
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ジョーンズの特徴的な制作技法として、蜜蝋を使った「エンカウスティーク技法」があります。
これは、着色した蜜蝋と樹脂を混ぜ合わせて作った絵の具で描く技法で、美術史上における最古のもののひとつ。代表作の《旗》シリーズも、この技法が用いられています。
また、日本に何度も訪れていたジョーンズは、18世紀頃の歌舞伎演目である『新薄雪物語』に興味を持ち、1974年〜2004年にかけてリトグラフの技法で《usuyuki》というシリーズも制作しています。
2. ジャスパー・ジョーンズの変遷
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ここからは、ジョーンズの生い立ちについても触れていきます。
ジャスパー・ジョーンズは、1930年アメリカ・ジョージア州オーガスタ生まれ。
幼少期に両親が離婚したため、サウスカロライナ州で祖父母とともに過ごします。
彼はこの頃について、「幼少期は周囲に芸術的な環境や芸術家は皆無で、芸術の意味はよくわからなかった。」と語っています。
ジョーンズは、1947年〜48年にかけてサウスカロライナ大学で芸術を学び、翌年1949年にはニューヨークに拠点を移し、パーソンズ美術大学に入学。芸術の基礎を習得しました。
しかし、1952,3年の朝鮮戦争時には徴兵され、日本の仙台に駐留することになります。
1954年、兵役を終えてニューヨークに帰還したジョーンズは、そこでロバート・ラウシェンバーグと運命的に出会い、お互いに意気投合。
1956〜58年にかけて、2人でティファニーの店舗ディスプレイのデザインなどの仕事を手掛けました。
のちに分かった話ですが、二人はカップルであったとされています。
またその頃、ジョーンズは、同じゲイカップルであったマース・カニンガム(振付師)とジョン・ケージ(作曲家)から多くの影響を受け、国旗、数字、標的やアルファベットなどを題材とした後の代表作を制作し始めます。
1958年、ラウシェンバーグのアトリエを訪問した美術商のレオ・カステリは、そこで目にしたジョーンズの作品に惚れ込み、すぐに初の個展をオファー。
この時展示されていた《旗》が、美術界に衝撃を与えました。
個展にやってきた、ニューヨーク近代美術館(MoMA)で館長をしていたアルフレド・バルは、ジョーンズの作品をその場で4点購入したそうです。
その後の変遷として、60年代にはコラージュや版画、オブジェを絵画に組み合わせた作品を制作。
70年代にはフラッグ・ストーン(敷石)やクロス・ハッチ(網目)とパターンを文様のように描いた抽象絵画を、80年代に入ると人物のシルエットなどの新しいモチーフを用いた《四季》シリーズを手がけます。
また1963年、ジョーンズはジョン・ケージとニューヨークで、現代パフォーマンス芸術財団(現在の現代美術財団)を創設。この財団は1977年には、ホイットニー美術館をはじめ、世界の著名な美術館を巡回するジョーンズの回顧展を開催しています。
現在、ジョーンズはコネチカット州やセント・マーチン島に住んで、制作を続けています。
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3. ジャスパー・ジョーンズの代表作品
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ジョーンズの活動時期である1950年代のアメリカ美術の主流は、身振りや色彩を大胆に自然の発意にまかせて用いて、情感に訴えることを信条としていた抽象表現主義でした。
反骨的な精神で新しい表現を生み出したジョーンズは、抽象的な私的表現のための場としてのカンヴァスという考え方と断絶。
誰にでもすぐにわかるシンボル、旗や標的、地図、数字、文字などの日常的な事物を、本来持つ意味を可能な限り排除して、平面的な単なる“オブジェ”として表現することにこだわりました。
ここからは、彼の代表的な作品を紹介します。
《旗》シリーズ
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《旗》は、星条旗が持つ記号としての“偉大なアメリカ”の意味性を極力排除して描いた作品で、蜜蝋をメディウムとして使う「エンカウスティーク」を駆使し、色彩を重ねた新聞のコラージュで作られています。
これは、コンセプチュアル・アートの祖であるマルセル・デュシャンの《泉》(1917)(既製品である男性用小便器を横に倒して、“泉”と名付けた作品)の応用とされています。
ジョーンズは、旗をモチーフとすることについて、
「私の負担を軽くした。なぜなら私はそれをデザインする必要がなかったから」
と語っています。
それは「違うレベルで仕事をする余裕」、つまり彼の注意を絵画の制作法(エンカウスティークや新聞の利用など)に集中させました。
その結果、観賞者は直ちにイメージを判読できたとしても、間近で見ると質感や苦心のあとを感じ取れます。
没個性的、公共的であると同時に私的であり、抽象的であると同時に再現的でもある。たやすくイメージを掴める反面、つぶさに眺めることが必要とされる作品です。
《ターゲット》シリーズ
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標的(ターゲット)を題材としたシリーズでは、《旗》シリーズと同様に、ジョーンズの絵画や平面に対しての探究のアプローチを追うことができる、重要なシリーズです。
ターゲットのモチーフは、旗のイメージを追及していく中で誕生しています。
アメリカの国旗である星条旗と違って、何かを象徴する固有のイメージではなく、色なども使うものが自由に選択することができることが特徴。
一方で、中央に配置され、同心円で表されるターゲットは、旗のように要素を四角に分割することができません。
《4つの顔のある標的》(1955年)は、ダーツの的をモチーフとした作品で、キャンバスの奥行きに合ったサイズのオブジェを配置し、二次元的な絵画に空間性を持たせています。
上部に配置された石膏像が、まるでこちらを見つめているかのようです。
ジョーンズは彼自身の性的指向を明らかにしたことはないですが、同性愛者についての理解が薄かった当時の生きづらさなど、社会に対する葛藤も込められているのではないかとされています。
《四季》シリーズ
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80年代に入ると人物のシルエットなど、新しいモチーフが作品に登場します。その代表が《四季》シリーズです。
これは自伝的な要素の強い版画作品で、1988年ヴェネツィア・ビエンナーレでグランプリを受賞しました。
また1988年、老舗オークションハウスであるサザビーズにて、ジョーンズの《間違った始まり》(1959年)は1,700万ドル(現在で約18億5,000万円)で落札。
当時現存するアーティストとしての、オークション取引金額を更新しました。
そこからさらにこの作品は値を上げ、2006年には78億円でアートコレクターに売却されています。
2010年、ジョーンズの才能を初めて見出した美術商のレオ・カステリから《旗》(1958年)相続していた息子のジーン・カステリは、それを約120億円で売却、ジョーンズ作品の取引金額最高額を更新しました。
ネオ・ダダのアーティストとして、時代を駆け抜けてきたジャスパー・ジョーンズ。彼の作品は、当時から社会背景の変化した今なお輝き続けています。
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