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自分のルーツ

自分の今の働き方のルーツにある祖父母の生きた時代。
ばあちゃんにとって、じいちゃんは、戦争とは、どう感じていたんだろう?関東大震災のとき、佐久の実家が揺れた話はよく話してたけど、満洲鉄道の話や日本への帰還前後の話は全くしてなかった。
それともぼくが聞き逃してたのか、理解できなかったのか。

目や手足、排泄や生殖機能など、負った傷には一人として同じ形はないが、誰もが生涯ついてまわった心の傷を抱えて生きた。身体の傷ではなく、「戦争神経症」と呼ばれる精神疾患により一生涯入院生活を送った人もいる。他人は同じ痛みを感じることはできない。それでも想像を届かせることはできると思う。いまこの瞬間も、世界では取返しのつかない傷を負っている人がいる。この国でかつて、若い人々がどんな傷を追い、どんな戦後を生きていったかを今知ることには、きっと、意味がある。

日本のために戦い、犠牲となったのに…戦後、過酷な境遇を生きた「傷痍軍人とその妻たち」 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/95389

祖母はぼくが二十歳の誕生日の3日後に亡くなっていて、祖父はぼくが生まれる半年前に亡くなったそうです。
一昨年亡くなった戦時中の祖父母のことを知っている大叔母には、亡くなる年の夏に自分のルーツでもある祖父の病気のことや戦後、自分の祖父母と母に何があったのか、話を聞きに行き録音、ざっくりとした文字起こしまでしました。
想像していた以上に長編時代ミステリー小説のような話で、まだ実は消化できずに文字起こしも見直せてません。
祖父母、母、そしてぼくと弟妹まで3世代を貫く太い幹のような家族の歴史の「根っこ」に何があったか知る機会を自分自身でつくったのだけど、今振り返ってどうしてそのタイミングでそうしようと思ったのか、自分自身でも思い出せません。
ぼくが生まれるずっと前に起こっていたことで、しかしぼくの家族が特別なのではなくて、戦争や災害のような沢山の人を巻き込むものがひとつきっかけで、人を選択できない未来に運んでいってしまうことがあるのだと、大叔母の話を聴き思いました。
そして、なぜ文化というか映画や演劇、美術などアートと呼ばれるものが人にとって必要なのか、なくなってしまってはなぜいけないのか、自分の中に個人や家の話を聴いてより、入ってくるような感覚がありました。
いつか、時間切れになるかもしれませんが、大叔母から聴いた話は何かの形にしたいなと思っています。

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