エンターテイメント
THE NOBLEST ART IS THAT OF MAKING OTHERS HAPPY.
大ヒット映画「グレイテスト・ショーマン」の主人公P.T.バーナムが遺したとされる言葉だ。偽善であっても人々を笑顔にするのがエンターテイメントである。見る者を幸福へ導くものこそが至高の芸術でありエンターテイメントである、と。終始に渡って観客を音楽で魅了するこの映画の力強さは、批判を押しのけて数多くの人たちを映画館へ導くほどの臨場感を持っている。
一方で、直近のハリウッド作品には局地的な楽しさだけがエンターテイメントではない、と改めて痛感させられる作品もある。『ハート・ロッカー』でアカデミー賞の話題をさらった映画監督キャスリン・ビグローの新作がその代表格だ。映画『デトロイト』は、1967年にデトロイトで実際に起きた殺人事件を題材にしている。「アルジェ・モーテル事件」と呼ばれる、デトロイトで暴動下に発生した白人警官による黒人男性の殺害事件だ。
冒頭にアニメーションで時代背景を説明しながら当時の映像を交えつつ、故意に手ぶれを加えたカメラワークを多用した映像は事件現場への没入感を誘う。その後、40分以上に渡って警官達がモーテルにいた男女を尋問するシーンへと続いていく。結末にも観客の憤りを解消させるような要素は少ない。
楽しさや喜びではなく、社会へ対する疑問や疑念、尊厳や贖罪など、ある種のエンターテイメントとはかけ離れた心の揺れ動きがそこにはある。130年以上の長きにわたって映画が人々の生活に根付いてきた歴史は、幅広い分野のソフトが受け入れられる土壌を醸成してきた。
ただ、その姿は刻々と移り変わっているのかもしれない。WEB上にコンテンツが溢れ、莫大な情報量がスマートフォン・タブレットに集約される時代は、この多様性に少しずつ変化をもたらしている。再生メディアの変化、コンテンツの受容のされ方の変化、消費行動の変化、経済圏の変化、作り手の評価基準の変化。挙げればキリがないのだが、ちょっとずつパラダイムシフトが起きている気はしないだろうか。
例えば、WEB配信されるコンテンツ。動画でもマンガでも、WEBで配信される以上は都度課金・定額課金どちらにおいても、PVとUUの呪縛から逃れることはできない。視聴完了率や読了率、併売データも気になる。数字が出てくると、作り手はそれを無視できない。そうして、物語の作り方も移り変わっていく。そういえば、『ラ・ラ・ランド』も『グレイテスト・ショーマン』も、冒頭はクライマックスのような盛り上がりを見せるシーンから始まっていた。
この変化は決して悪ではない。メディアの変化による受け手の受容の変化に対して、作り手が新たな提示をしている証拠なのだろう。技術の発達に合わせて、作り手もどんどん進化している。お互いが相互に刺激し合えるコンテンツ環境ができれば、僕らはもっと素晴らしい作品に日々出会うことができるはずだ。ただ、コンテンツを取り巻く経済圏の変化は少しずつこのバランスを崩してしまう。一度射幸心に力点を置いてしまえば、後戻りする勇気はなかなか持ちづらい。そうすると、ぽっかり穴が開いてしまう場所もできる。メディアの移り変わりを、最終的に喜ぶのは誰なのだろうか。
そんなことを考えると、メディアの世界には今、たくさんのチャンスが転がっているとも言える。エンターテイメントの世界は、今とっても面白い。