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日本史:縄文時代 「なんだこれは!」

通訳案内士の試験勉強のための、まとめノートです。

おおよそ紀元前 14,000年 から紀元前10世紀までの時代。縄文時代には、土器が発明され、竪穴式住居が普及し、貝塚が形成されました。

縄文時代の名前は、明治時代に東京で、アメリカ人のお雇い外国人で動物学者の「エドワード・モース」が1877年に発見した「大森貝塚」で出土した土器に由来します。この土器には、縄目の紋様がついており、Cord Marked Pottery 、後に縄文土器と呼ばれるようになりました。この貝塚の発掘は、日本初の学術的発掘であったことから『日本考古学発祥の地』と呼ばれています。

代表的な縄文土器に、信濃川流域で発掘された「火焔型土器」があります。新潟県「笹山」遺跡で発掘されたものは、縄文土器として初めて、新潟県としても初の国宝に指定されました。岡本太郎が、この土器を国立博物館で初めて見たとき「なんだこれは!」と叫んだといいます。彼が縄文土器に日本のオリジナリティーを見出したことから、その芸術性が評価されていくことになりました。

この時代には、様々な造形の土で作られた人形「土偶」も作られ、主に東日本で発掘されています。5体が国宝と指定されており、その形状からそれぞれ愛称がつけられています。「縄文のビーナス」、「茅空」、「合掌土偶」、「縄文の女神」、「仮面の女神」。

土偶s

縄文時代の代表的な遺跡として、青森県の「三大丸山遺跡」があげられます。縄文時代の集落跡で、竪穴建物、墓、掘立柱建物、貯蔵穴、道路跡などがあり、当時の集落全体の様子が伺うことができます。

山梨県から長野県にかけての中部高地には、縄文時代の遺跡が多く点在し、「星降る中部高地の縄文世界」-数千年を遡る黒曜石鉱山と縄文人に出会う旅- として、日本遺産に登録されています。八ヶ岳の北麓の「星糞峠黒耀石原産地遺跡」などの黒曜石の採掘跡があり、掘り出された黒曜石のカケラが輝く様から、この辺りは星降る里と言い伝えられてきました。国宝である、土偶の「縄文のビーナス」、「仮面の女神」は、この地域から出土されたものです。


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