なんでもない日々の写真を「売る」こと #僕らのSnapmart
昔、公園を歩いていたら、自分の撮った写真を絵ハガキにして売っている人がいた。
いいなぁ、と思った。その時、わたしもカメラをぶら下げて歩いていたから。きっと儲けはそんなに出ないけど、売れたら嬉しいだろうなぁ。
自分の好きなもの、好きな色、好きな味の写真を売って、誰かの日常にそっと添えられるなら、そんな嬉しいことはないだろうなぁ、と。
昔撮ったフィルムの写真、スマホで撮ったいつもの食卓の写真、街の写真。一眼レフで撮った好きなもの、好きな風景、好きな場所の写真。
パソコンのストレージのなかには、そんな写真がいっぱい詰まっている。
Instagramができて、それらを誰かに見てもらう、好きなことを共感してもらうのが、簡単にできるようになった。アルバムを誰かに見せるように、写真を並べて、編集して、たくさんの人に見せる。
でも、見せるだけでなくて、本当はもっと自由に使ってもらっていいかもしれない。そのほうが、写真の一枚一枚にとって幸せなことだと思うから。
パソコンのなかで、眠らせているだけの写真を、もっとだれかの役に立つものにしたい、誰かの文章に彩りを添える一枚として使ってもらいたい。
そう思って、わたしは、なんでもない日々の写真を売っている。
Snapmartというアプリは、スマホで簡単に写真を売ることができる。
売れていく多くの写真は、さりげなく日常のタイムラインのなかに溶け込むようなアイキャッチや広告・宣伝の素材として使われる。
こんな、日常の写真が売れる。これはよく買ってもらえる一枚だ。
本当になんでもない、昔住んでた部屋で撮った一枚。窓の大きい、この和室がとても好きだった。
いつのまにか、関西の非公式オフ会を主催することになって、昨日2回目を行った。
人脈のある心強い仲間が、写真のことを教えてくれる人、モデルになってくれる人を呼んでくれた。
わたしは場所を用意して、段取りを決めただけ。もともとの形は、東京にいる仲間が作ってくれている。非公式だけど、集客は公式さんに頼っている。たくさんの人に助けられてなんとか形になって、楽しい時間を過ごせた。
主催することの大変さは、そういう応援があれば消えていく。だから、またやりたいと思える。
写真を「売る」ことに抵抗のある人もいるかもしれない。
思い出のある自分だけの写真にしたい。こんな写真を売っていいんだろうか、という自分では価値がはかれない曖昧さもあるかもしれない。
でも、「売る」という行為もまた、ひとつのコミュニケーションだ。
実際に、売ってる感覚はあまりない。私自身は、たまに写真が売れるInstagramみたいに思っている。
自分の倉庫に眠っている写真を、みんなで使う倉庫に移す。写真を使いたい人は、倉庫の管理者と撮影者にお金を払う。そんな仕組みで成り立っている。
だから、もっと写真を「売る」ということを気軽にやっていいと思う。
スマホのカメラも、一眼レフカメラも、ずっと手に取りやすいものになり、写真を撮ることはもうすっかり日常のなかのありふれた行為になっている。
そんな日常の行為が、誰かの助けになる。だれでもクリエイターになれるとか、好きを仕事にできる、とは言わないけれど、そんなふうに写真を「売る」ことが広まったらいいな、と思う。
あなたの日常の写真には価値がある、とSnapmartは教えてくれた。
最後に、今回参加してくださった皆様、本当にありがとうございました。相変わらず拙い運営ですが、これからも見守っていただき、参加してくれたら嬉しいです。