夜は自己嫌悪で忙しい
倉橋ヨエコの名曲の一節だ。
夜は自己嫌悪で忙しい。
彼女の歌は、病んでいる。明るく高らかに歌い、ピアノを弾ませながら、人間の奥深い闇に触れて、戦っている。一度、物販の仕事をしているときに、顔を合わせたことがある。アーティストなのだから、当たり前かもしれないけれどアート性を帯びた独特の目を持った人だった。
彼女のファンも、心を病んでいる人が多かったし、私も心底疲れた時は彼女の歌によく慰められた。
mixiのグループがまだ機能していたころ、病んだ彼女のファンが、ずっと大切にしていた宝物のようなサイン入りのCD3枚を2万円でだれか買ってほしい、お金がなくて病院にも行けなくて困っている、という書き込みをして紛糾したことがある。
彼女の日記を見ると、明らかに定職にはついておらず、お酒を飲んでギャンブルをして、とても苦しそうな生活をしていた。正直たかが2万円の援助では彼女の生活は救うことはできないだろうと思いながら、連絡を取ってみた。
別にそんなに大切にしているCDを無理に手放さなくてもいい。貸してくれるだけでいいから、もし、生活が立て直せて元気になったら、また取りに来てほしい。お金はすぐに振り込むから。
そう連絡して、お金を振り込んだ。彼女からはすぐに返事が来て、サイン入りのCDも3枚届いた。あんな書き込みをして、掲示板だけでなく、直接ひどい誹謗中傷をうけているなか、そんな風に言ってくれる人がいるとは思わなかった、というようなことを言われた気がする。
私にとってはただの気まぐれだ。
同じ歌を聴いて、同じように心が救われたり、つらい状況を共有している。助けたつもりもないし、倉橋ヨエコのCDは好きだし、別にちょっと高くてもいい。
相手が本当に苦しんでいるかどうかもわからないし、名前も住所も年齢も全く知らない。そんなこの先会うこともないだろう人に、新卒で働き始めたばかりのころに、それなりのお金を渡した。
もう10年以上も前のことだから、とっくに時効だろうと思って、今日初めてこのことを誰かに伝えた気がする(妻にも言ってない)。
その後の彼女の様子はときどき気にかけていたが、やはりギャンブルしたり自殺未遂をしたりしていた様子が日記からはうかがえて、そのうちその日記もアカウントも消えた。
今も彼女は倉橋ヨエコの曲を聴いているだろうか。ちゃんとどうにか生きているだろうか。ただの気まぐれでは人を救うこともできないし、結局人が生きていくには、継続的に支えてくれる人の存在や人以外のなにかが必要だ。
夜の音楽は静かに響く。
生きるつらさも、だれかを頼る難しさも、気まぐれの救いも、すべて包み込んでしまう夜は、自己嫌悪で忙しい。
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