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現実世界では「正直者が馬鹿を見る」ことの方が多い
ロシアがウクライナに侵攻した。
お互いがそれぞれいろいろな事情を抱えていたにしても、今回のロシアのやり方は国際社会の「多く」からは支持されていない。
「多く」からは支持されていない。
つまり、少なからず同じ考えや感覚を持った国がいるということ。
人間1人1人の考え方が異なるように、国家間でだって考え方が異なるのは当たり前のこと。
だけど「人の命を軽視しない」ことは、全世界共通の感覚、いや、規定を定めていないといけないと思う。
いつの世も一番犠牲になって報われないのは一般市民ばかり。
悲しい歴史ばかりが繰り返されてきている。
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私は日本人の「思いやり」とか「規律を守る」性質が好きだし、誇りに思っている。
私の思う「思いやり」は、周りの人がうれしいとか気持ちよく過ごせるためのちょっとした気づかいのこと。
みんながそれぞれ気づかいをするから、社会の中に気づかいが充満している感じ。
でも、これは「性善説」だったり「自己犠牲」がベースになっていると思っている。
だけど日本の義務教育を受けた多くの日本人には、これらが当たり前のように備わってるように思う。
そんな習慣が備わっている日本人が海外で暮らすと「心が傷つく」場面に出会う率が上がります。
なぜなら海外は基本的に「性悪説」だし、「自分が優先」文化だから。
日本人的感覚で接すると、善意を搾取されたように感じてしまいます。
でも、それは最近の日本でも増えてきているように感じます。
日本人の価値観が変わったことによるモラル低下と外国人が増えたことによって、「性善説」をベースにしていると、正直者が馬鹿を見る世の中になってきているように思います。
かと言って、「性悪説」を前提にしてしまうと世の中がギスギスしていってしまう懸念があります。
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だけど、外交となると話は別です。
日本はいつも「遺憾です」と言う『遺憾砲』しかしなかったり、「大人の対応」をしようとします。
国際社会では「性悪説」が前提で、各国がマウント合戦をしています。
そんな中で、日本のような対応をしていたら、なめられるに決まっています。
銃社会では、護身のために銃を所持する連鎖が止まりません。
だけど、所持している多くの方は使いたいとは思っていないし、使う機会が無いことを祈っています。
もしもあなたが銃社会に住んでいたら、「銃は危ないから破棄しましょう」と言われて、破棄できますか?
あなたが破棄した後に銃で攻撃され、命を落とすようなことがあったら、それこそ「正直者が馬鹿を見る」ですよね?
日本という国が自国を守るためには、「思いやり」だけでは守れません。
外国に対して「思いやり」を振りまいても、残念ながらほとんど感謝なんてされていません。
攻められる口実を与えないのはもちろんですが、話が通じない相手が攻め込んできた時、自国を守るための手段を持つことはものすごく大切。
日常生活では「性善説」が続いて欲しいけれど、外交には「性悪説」ベースが必要。
平和を維持するための「性悪説」。
とても不安定で脆いはずなのに、現状では一番最善という皮肉。
自分の考えをうまく伝えられなくて悔しい。
だから毎日投稿を続けて訓練する必要があるんだな。。。
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