今日、推しの活動再開後初のライブだった。私は現地参加できないので生配信で参加した。推しは機材にトラブルがない限りライブを生配信してくれるので、ありがたい限りである。 以前、推しのファンのファンであると書いた。あのときは配信のチャット参加者を対象としていたが、今日は改めて現地のお客さんも素敵だと思った。 ライブは生もの。つまり突発的トラブルがつきもの。推しは一人で活動しているため、何か起きたら自分で対処するしかない。そんなとき、必ず見ていた誰かが手を貸してくれる。ファ
いつも一階の駐車場に停めるのだが、今日に限って封鎖されていたため屋上に停めた。 初めての景色は、前方に山が聳え雲海が揺蕩っていた。雲海を直に見るのも初めてだったので感動した。 信仰を集めるのも頷ける。自宅からも見える山なのだが、より高く大きく見えた。
ホラーが好きだが、恐らくホラー映画は好きではない。ドラマ、投稿動画、怪談、漫画、小説等々では楽しめるのだが、どうも映画になるとあまり面白いと感じない。何故かは不明である。 『リング』は怖くなかったし、原作の内容を知って「ホラーじゃない……」と愕然とした。 『呪怨』はあの母子こそ怖かったのだが、終盤笑ってしまっていた。笑う場面では決してないのだが。 『返校』と『零~zero~』に至っては原作ゲームを好きだったがゆえに「なんてことしてくれたんだ」と思った。 『サイレントヒル』
※今朝投稿した文章を誤って削除してしまいました。イイネをくださった皆様、申し訳ありません。 ※以下は、削除した投稿と同じ文章です。 谷川俊太郎さんが亡くなった。 兄弟の母校の校歌は、谷川さんが作詞された。その母校は近々合併してしまう。 あの校歌を、兄弟はいたく気に入っていた。 あなたが訳した『あしながおじさん』を読めたことは、私の幸せでした。 ご冥福をお祈りします。
先日、活動再開を宣言してくれた私の推し。 実は、私はそのファンの方々も密かに推しているというかファンである。推しの人柄が影響するのか、とても居心地のよい環境なのである。 生配信をしていると、眉を潜めるようなコメントが出てくることもある。私ですら「はあ゛ん?!」と呻くのだから、皆さんも決して気分は良くないだろう。しかし、誰も彼も自然に無視して和やかである。 自分の感情のままに噛みつき返すことは己の醜態を晒すことに繋がるし視聴者の迷惑にしかならない。何より、炎上は決して
家族が「ガーリックバター」と見間違えて買ったシュガーバター。 その消費方法として、焼き芋を買ってきた。 輪切りにしてシュガーバターを塗り、トースターで焼く。 「なんちゃって大学芋」といった感じでとても美味しい。
推しが、活動再開した。 予定よりずいぶん早く帰ってきてくれた。 「大袈裟に言っておいて……」なんて気まずくならなくていい。喜ばないファンはいなかったから。みんな、あなたを待っていた。 まだ、ブラックサンダーを届けにはいけないけれど。 お帰りなさい。お帰りなさい。 画面越しに、目一杯の感謝を。 元気そうで、本当に良かった。変わらないあなたの笑い声を聞けて、良かった。
『あかね噺』を読んで。 「画質が悪過ぎて」「画面が滲んで見えやしねぇ」 は耐えられたのに、 「いつまでも」「引き摺っていられな――」 の次ページからに耐えられず涙腺決壊。というか、泣いていることに暫く気付かなかった。鼻ずるずる鳴らしていたのに。 良い物語に出会えたなあ。
セブンイレブンのブリトー、ハムチーズが一等好きである。 子どもの頃からブリトーと肉まん、そしてカニパンを楽しみにセブンイレブンに通っていた。 自作することもあるけれど、下敷きの紙を食べないよう少し折って中身を引っ張り出しながら食べるのがとても良い。
自分のペースで歩くと、色々なものに気付く。 「ごめんください」と声をかけるのがぴったりな、昔ながらの木の戸。 肉屋の横を通ると、コロッケを揚げているのか油の匂い。 寺の近くでは仄かな線香の香り。 ゴミ捨て場に「鬼ごろし」の段ボール。 日の当たる窓辺で日光浴をする亀。 保育園の前に並んだ小さな靴たち。 マンションの前を通ると、染み着いた煙草の匂いや部屋の匂いが漂う。 たわわに実った柚子、梔子の実。 最近見なくなった、庭先の菊。 艶々として存在感を増した椿の葉
「宙わたる教室」 ・「教授」=男性 と思い込んだ私はまだまだだ。反省。 ・「やれる場所を探してやればいい」「やっちゃえばいい。やったもん勝ち」 なんて勇気の出る言葉だろう。 ・あの先生が初めて怒るシーンに沸く我が家。
雲の薄い箇所から、うっすら青空が透けて見える。 それだけで、どんなに分厚い曇天でも、少し「いいな」と思える。
去年似合っていたものが、今年も似合うとは限らない。 お洒落は伸び代だらけだ。
noteを続けていてよかったと思うことが一つあった。 今日まで続けていなければ、無かったこと。 「塵も積もれば山となる」 飽き性の自分では積むことができないと思っていた。 でも、たとえほんの僅かな堆積でも。確かに、山であったのだ。
ドラマ「宙わたる教室」を見て。 オポチュニティの話を聞いて、 「交信が途絶えたとき、携わった人たちはさぞや悲しんだことだろう」 と思ってしんみりしていたところ、泣いていたと知った瞬間涙腺が決壊した。 15年も頑張ったんだ、一緒に。
ペット動画にて。 病院に着いてから注射を打つまで大騒ぎし、終わった途端晴れやか~になる様子を見て妙に親近感というかデジャヴ…… (あ……手続き面倒くさいときの自分……) 手続きするまでが情緒不安定→寸前がピーク→終わってしまえば解放感で気分はハレルヤ