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ヴァザーリとラファエロ、そして私

ラファエロのことを考えているとき、たまたま古本屋さんで発見!即買いしたのが 『ルネサンス画人伝』(1982年白水社が出版)。
ジョルジョ・ヴァザーリ(1511−1574年)が書いた『美術家列伝』(1550年出版、1568年第二版)から15人を選んで、平川祐弘氏、小谷年司氏、田中英道氏が完訳したものです。
ウッチェロ、ボッティチェッリ、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ティツィアーノ…、素敵なラインナップ✨
早速 ラファエロについて読みました。
<ラファエロ伝>(訳:平川先生)はこう始まります。

普通ならば、長い時期にわたって、天が多くの人々にわかち授けるであろう世にも稀な才能やもろもろの美質や限りない宝の数々を、天は時に一人の人間に存分に惜しみなく授けることがある。

ラファエロのことです。

彼は天性、謙虚な善意の人であった。そのような特性は、もって生まれた穏やかな性質に加えるに愛想の良さをもってするという、ある特別の人々の中にのみときどき見られる特性だが、それはいかなる場合でも、いかなる人に対しても、気持ちがよく、好感を与えるものであった。

芸術性、人間性ともにベタ褒めです。一気に読み進めました。

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<ラファエロ伝>は同時代を生きたヴァザーリしか知り得ないエピソードを交えて書かれており、とても興味深い内容でした。
現代の我々が、ルネサンス期の美術家の生い立ちや活動を “現場感” を持って知りうるのは、ヴァザーリのおかげ。なるほど、これが偉大な美術史家と言われる所以なのですね。
ただ、ヴァザーリ自身も画家・彫刻家であり、それ以前に一人の人間です。読んでみると彼の願望や葛藤が垣間見えました。

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↑ ジョルジョ・ヴァザーリ『ゲッセマネの祈り』(1570年頃)。
(現在改装中の国立西洋美術館所蔵)

ヴァザーリによると、ラファエロはミケランジェロを徹底的に研究し研鑽を積むのですが、ミケランジェロの領域には到達し得ないことを悟ります(←ヴァザーリも “神のごとき” ミケランジェロに強く憧れます)。
そこでラファエロは中庸を心がけ バランスよく巨匠たちの良いところを取り入れ、統合し、そして普遍的な自分のスタイルを築き上げました(←「自分が目指せるのはココだ!」・ヴァザーリの声)。
ラファエロは作品のみならず人格においても優雅であり、人々を魅了するのです(←「羨ましい!」・ヴァザーリの声)。

結果としてラファエロが手に入れた人気や宮廷人としての地位は、ヴァザーリが最も望むところだったのではないでしょうか。

彼の後に残されたわれわれにとって、さてなすべきことは、彼がわれわれに手本として遺した良き方法、いやその最良の様式を真似ることとである。

画家たちに送るメッセージは、ヴァザーリが自分に言い聞かせた言葉です。

人々がラファエロの礼儀正しい振舞いとその芸術、特にその良き性質の素晴らしさにすっかり魅了されてしまった。

ヴァザーリ自身が、すっかり魅了されていたのですね。

ヴァザーリ<ラファエロ伝>を読み終わって、もう一度 渡邉晋輔先生の『ラファエロ像の変遷と偶像化への過程』(<ラファエロ展>図録・前回ご紹介)を読みたくなりました。
また出かけてきます。

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そんなこんな…していると、職場の人が<ラファエロ展>2013年のプレス用パンフレットを手に入れてくれました。きゃーっ!!なんと嬉しいことか😭

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“ルネサンスの優美(グラツィア)、いよいよ東京へ”
“彼の絵は完璧でありながら計算を感じさせず、画中のモティーフは生き生きと躍動している。ルネサンスの人びとが夢見た理想の世界を描き出すものと言えよう”
“日本に居ながらにして各国のラファエロ作品を鑑賞できる絶好の機会です”

素敵なフレーズ✨。2013年にワープして… どっぷり酔いしれています。

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真面目で謙虚、何事にも真摯な姿勢で取り組み、努力を惜しまないバランス感覚の優れたラファエロ。
『小椅子の聖母』『大公の聖母』を見ているだけで、優しく穏やかな気持ちになれるのは、ラファエロの 芸術や人間を愛おしんだ気持ちが作品に表れているからだと思います。俄然応援したくなりました!

我が家の本棚に並んでいた『週刊美術館 21ミケランジェロ・ラファエロ』(小学館から2000年に発売)を読んでいると、素敵な一文を見つけました。

聖母子はきっと、ラファエロの出現を待ちわびていたに違いない。

いいですね、このフレーズ。メモしておきます(笑)。
自粛ムードの重苦しい毎日、今こそ ラファエロの描くグラツィア(優美)が求められているのです!

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ラファエロが人生後半を過ごしたローマで代表作『アテナイの学堂』が生まれました。

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実はこの作品の良さがまだわかっていません💦。ミケランジェロの『最後の審判』と同じく「素晴らしい!」と言われても、今ひとつピンと来ないのが正直なところです。
こちら『週刊美術館 21ミケランジェロ・ラファエロ』で見つけたフレーズ。

ミケランジェロとラファエロの芸術は、画集ではその片鱗しか味わうことができない。だが、その片鱗からだけでも彼らの偉大さを窺い知ることができるはずである。もしそれで満足しなければ?あとはローマへ足を運ぶしかないだろう。でもご心配なく、すべての道はローマに通じているのだから。

なるほど!
バチカン美術館のラファエロの部屋・バーチャルギャラリーで『アテナイの学堂』を見てみました。

迫力があります!凄い…。しかし本当の素晴らしさを知るには、現地に足を運ぶしかないですね。
今年、ローマで開催されていたラファエロ没後500周年の<ラファエロ特別展>には間に合いませんでした。

でも大丈夫。
私が歩むこの道も、少しずつ前進を続けていれば、いつかローマにそしてラファエロに到達することができるのですから。

<終わり>

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