ギュスターヴ・モローという人
≪ パリ滞在記・その4 ≫ 〜国立ギュスターヴ・モロー美術館
Musée Gustave Moreau Une maison-atelier unique a Paris〜
ロダン美術館を後にして、続いてはギュスターヴ・モロー美術館です。
神話や聖書に主題を求め、目に見えない精神世界を描き続けた画家。
以前から、モローの絵に少し拒否反応がありました。見ているとなぜか落ち着かず、展示されていてもチラッと見ただけで素通りしてしまいました。
そんな中、半年前<ギュスターヴ・モロー展>に行きました。
展示会では彼が描いた女性像に焦点を当て、母親との関係、恋人との関係からモローという人物をイメージさせてくれました。そのイメージと彼の作品に描かれた女性像を対比させ、私なりにいろいろ感じたつもりです。
それでもやはりモローという人に近づくことはできませんでした。
どうも「理解できない」という意味で、“行っておくべき美術館” と決めてパリ滞在の前半に足を運びました。
目的はモローという人に少しでも近づくこと!
閑静な住宅街にその美術館はありました。ここはモローが長年住んだ場所です。
自分の作品を飾る美術館を設立したい!と60代になってから具体的な準備を始めたそうです。自分が生きた証を残したい!と考えたのでしょうか。
66歳にして国立美術学校の教授になったモローは、自分のやり方を教えるというより、弟子たちの個性と才能を伸ばすことに注力したそうです。
‘自分の世界に入り込んで殻にこもっていた画家‘、と勝手にイメージしていたので、意外でした。
モロー「私は君たちが渡っていくための橋だ」(←カッコいい❗️)
その橋を渡ってジョルジュ・ルオー、アンリ・マティス、アルベール・マルケといった画家が育っていったそうです。
しかし、伝統を重んじる他の会員はモローのことを良く思っていなかった とか。その後、彼は病と闘いながら美術館のための制作に熱中して行きます。画廊や個展で注目され初めていたモローは、1898年72歳でこの世を去りました。
自分の全ての美術品を建物と共に国家に寄贈すると遺言。受け入れを渋る政府を弟子や友人が説得して、1903年 ようやくギュスターヴ・モロー美術館として公開されたそうです。世界初の国立の個人美術館であり、初代館長はモローの一番弟子、ルオーが務めました。
モローの私的空間+制作の現場にして、モローの熱意と弟子たちの思いが詰まった空間。いやぁ〜。こんな歴史を持った場所だったのですね。
さて美術館の中を歩いてみました。
3階、天井の高いアトリエ部分には大画面の作品がところ狭しと展示されています。『ユピテルとセメレ』『求婚者たち』『オイディプスとスフィンクス』などの大作!があったはず💦
お恥ずかしながら、とにかく圧倒されるだけで、一つ一つの作品をじっくり観ることは出来ませんでした。
3階から上るためにモロー自らが増設したという ‘らせん階段’ 、とそこからの眺めは想像以上に素晴らしかったです。
4階広間の中央と窓下部分にある家具は、可動式パネルが収納されており、デッサン画がビッシリ。自らの痕跡の全てを残すための全生涯のデッサンがあるそうです。
書斎や食堂といったプライベート空間もモローのファンにはたまらないはず。
モローの世界観にどっぷり浸かることができる空間でした。
今回、少しだけギュスターヴ・モローという人に近づくことができた気がしました。今後は、彼の生きた証である作品をじっくり見てみたいです😊
<その4>終わり
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