ヴェネツィアの夢・海馬の夢
前々回、前回に続いて、馬場駿吉先生の『海馬の夢〜ヴェネツィア百句』を味わっています。
【芸術】
ヴェネツィアは数々の文学、音楽や絵画などの舞台となってきました。馬場先生も芸術に関する多くの句を詠んでいます。
20世紀を代表するロシアの作曲家、イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971年)。名前は知っているのですが、私が思い出すのは代表曲のバレエ音楽『火の鳥』くらいでしょうか。
『火の鳥』はパリ・オペラ座で初演され、大成功を収めたそうです。その後 各国で演奏会を開くため、点々と移動したストラヴェンスキーは、パリで市民権を得、最後は移り住んだアメリカで88歳のときに亡くなっています。
中でもヴェネツィアを愛した彼は、毎回カナル・グランデ(大運河)を一望できるホテルにピアノを運び入れて滞在したそうです。
そんな彼の遺言は、ヴェネツィアで葬儀をあげ、ヴェネツィアに眠ること!!。
そんなご縁があったのですね。
ストラヴィンスキーが眠るヴェネツィアのサン・ミケーレ島に落ちる稲光を見た馬場先生は、火の鳥が舞い降りる姿を想像したのかも知れません。
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バイオリン協奏曲『四季』で有名なアントニオ・ヴィヴァルディ(1678-1741年)はヴェネツィアに生まれ育ち、ヴェネツィアをこよなく愛した作曲家です。
しかし、滞在中のオーストラリアで継承戦争に巻き込まれ、故郷に帰ることができないまま63歳で亡くなりました。遺体はウィーン(オーストリア)の貧民墓地で埋葬されたのだそうです(涙。
馬場先生は、きっとヴィヴァルディの命日(7月28日)に彼の曲を聴いていたのですね。せめてヴェネツィアというこの街(=蚊)に自分の一滴の血を捧げ、偉大な作曲家の想いに答えようとしたのかも知れません。
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小説家・太宰治の遺体が見つかった6月19日は「桜桃忌」と呼ばれています。
ヴェネツィアに滞在していながら、その日に桜桃(さくらんぼ)を食べる馬場先生は、太宰治が好きだったのでしょうか。
太宰治が入水自殺だったということが、水に浮かぶ都市=ヴェネツィアと結びついたのかも知れません。
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映画『ベニスに死す』(監督:ヴィスコンティ)のビデオを借りて見たのは、もう25〜30年前のことでしょうか。
静養のためにベニス(=ヴェネツィア)を訪れた老作曲家・アッシェンバッハは、同じホテルに滞在中の美少年に魅せられてしまいます。疫病の蔓延がわかっていながら、ヴェネツィアを離れることができなかったために命を落とす・・・という儚くも悲しい映画だったと記憶しています。
調べてみると映画の公開は1971年。当時は老人が若い少年に、そして男性が同性の美少年に惹かれるなんて 口にすることさえ許されない、そんな時代でした。
悲しく切ない作品とベニス=ヴェネツィアという都は、とても親和性が高いのかも知れません。
モノクロ映画だと記憶していたのですが、調べてみるとカラー作品だったのですね!。
初老のアッシェンバッハと同じように、スクリーンに映し出される美しい少年(俳優ビョルン・アンドレセン)から目が離せなくなって、胸が息苦しくなるような私の記憶は、色彩のない白黒の世界でした。
アッシェンバッハの命日など、誰も覚えていないし、気にすることさえない・・・そんな句を詠んだ馬場先生。
カビの生えたチーズの匂いを嗅いだとき、禁断の想いと疫病を自身の中に抱えたまま朽ち果てるアッシェンバッハに想いを巡らせたのかも知れません。
私が思い出す映画の世界観は モノクロームのままですが、そこにチーズの匂いがプラスされ、新たな記憶となりそうです。
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『死と乙女』と聞いて「エゴン・シーレの作品だ!」と思ったのですが、弦楽ということは、シューベルトの楽曲のことなのですね。
シューベルトは、マティアス・クラウディウスの詩を歌曲(リート)に、さらに弦楽四重奏に表現を広げて行ったのですね。
そしてシューベルトの楽曲は、芸術家たちのインスピレーションの源となり、戯曲、文学、絵画、映画へとさらに広がっていくのです。
弦楽四重奏曲・第14番第2楽章、通称『死と少女』を聞いてみました。
伸びやかに響くヴァイオリンの音色が物悲しいシューベルトの楽曲は、5月の冷えた夜が似合いますね、馬場先生。
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スパークリング・ワインに白桃の甘みを加えたカクテル(=桃酒)のことを “ベリーニ” と呼びます。その名前は【ヴェネツィア派】の巨匠・ジョヴァンニ・ベッリーニから取られているそうです。全く知りませんでした!。
【ヴェネツィア派】の大巨匠といえばティツィアーノですが、【ヴェネツィア派】の創始者はジョヴァンニ・ベッリーニです。
【フィレンツェ派】や【ローマ美術】が「形」「デッサン力」を重要視したのに対して、【ヴェネツィア絵画】の特徴は、何といっても色彩。色彩を通じて質感や空気感を見事に表現しました。
ベッリーニ作品で私が大好きな一枚が『総督レオナルド・ロレダンの肖像』(下の画像・左)。1501年に描かれた見事な作品ですが、描かれているのがヴェネツィア共和国の総督となった人物であること、はじめて知りました!。
陽光豊かな美しき街、ヴェネツィアに生まれ育ったベッリーニは、描線より色彩にこだわり、絵の具を何層にも塗り重ねました。
比較するために、「形」「デッサン力」を重視した【フィレンツェ派】ミケランジェロの作品(下の画像・右)と並べてみました。
ベッリーニ作品の、柔らかくあたたかい色遣いと繊細で趣に満ちた肖像画たるや!。。。やはり【フィレンツェ派】の“かっちり”した肖像画とは、ひと味違いますね。
桃酒というスパークリング・ワインのイメージには下の画像がピッタリかもしれません。お酒が弱い私も、ちょっと飲みたくなりました。
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18世紀【バロック絵画】最後期の巨匠ティエポロもヴェネツィア出身なのですね・・・この情報も知りませんでした。
この作品、見上げる青い空は抜けるように眩しい✨のです。
春のヴェネツィア。雨雲によって暗く閉ざされた空を見上げていると、突然の雷によってティエポロの描く青い空が映し出されたのかも知れません。
ヴェネツィア共和国の美術絵画の伝統はベッリーニに始まり、ティエポロが締め括ったのですね・・・もっと【ヴェネツィア派】の作品が観たくなりました。
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【海馬】
最後に、書籍のタイトルに付けられた「海馬」について詠んだ句をご紹介します。
「海馬」とは、
① 《ギリシャ神話》の生物ヒッポカムポス。前半身が馬で後半身が魚の怪獣
② 《動物》タツノオトシゴ(Sea Horse)
③ 《解剖》(大脳側頭葉の)海馬=脳の記憶や空間学習能力に関わる脳の器官
この句で使用されている「海馬」とは、①のギリシア神話・ヒッポカムポスを指し、ゴンドラの船首に飾られた半馬半魚の怪物の彫刻のことだそうです。
「海馬」そして本のタイトル「海馬の夢」について馬場先生が記しています。
「海馬はヴェネツィアに魅せられた私自身なのかも知れない」
この句集に収められた俳句すべてに通じる世界観、ですね。
ヴェネツィアに魅せられた馬場先生がゴンドラと共にヴェネツィアの運河を渡る海馬なのだとしたら、
私は先生の俳句からヴェネツィアを想像・感じることで学習し、脳内の記憶に焼き付けることができるかも知れません。
同じ夢は見られないとしても、自分なりの夢を楽しむことはできそうです。
古本屋さんで(不純な動機から)手に取った一冊の本ですが、十分過ぎるほど楽しませてもらいました。
三つの記事の投稿を終え、本を片付けようとしたその時、発見しました!!
なんと!
見返しの部分に鉛筆で、
と書かれているではありませんか!黒鉛のシルバーの輝きが美しい✨。
これ、馬場先生がサインしてくださったのでしょうか・・・。
先生と同じ夢が見られるような気がしてきました。
<終わり>
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