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エリック・サティとの付き合い方

エリック・サティとの最初の出会いは、私が高校生のとき。
音楽大学で声楽を専攻している姉が練習していたピアノ曲『ジムノペディ 第1番』。思わず鳥肌が立ちました。
「少ない音、シンプルなフレーズの繰り返しでこんなにも心惹かれるメロディーが作れるんだ!。そして、これなら私にも弾けそう!」。

https://youtu.be/dCl403hKJXk

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不意の再会は、京極夏彦原作のDVD映画を見ていた時に流れたメロディ。『ジムノペディ』だったかしら『グノシエンヌ』だったかなぁ。。。映画の怪しい雰囲気にピッタリの旋律を聞いて鳥肌が立ったので、すぐに「エリック・サティの曲だ!」とわかりました。
一緒に映画鑑賞した旦那さんはサティが大のお気に入りとなり、iPhoneの目覚まし音楽に『グノシエンヌ 第1番』を設定しました。単純!。
10年以上も前から我が家の寝室には毎朝サティが流れます。静かな音楽であるのに、不思議とすぐに起きられるのですよ (^^)。

https://youtu.be/y7kvGqiJC4g

サティ本人のことはなにも知らなかったのですが、その物悲しくも美しい旋律から、何となく色白ヒョロヒョロ、人付き合いが苦手で繊細な神経の持ち主だと想像していました。

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次の機会も突然やってきました。
2019年パリで訪れたモンマルトル美術館で、画家ユトリロの母にして女性画家、シュザンヌ・ヴァラドンの作品とその人生を振り返っているとき。
恋多き女性ヴァラドンが付き合った「かも」知れない芸術家は、シャヴァンヌ(?)、ロートレック(?)、ルノワールそしてエリック・サティ⁈。
ヴァラドンはその後 サティの友人の資産家、さらには自分の息子ユトリロの友人と付き合ったのですねぇ。
ヴァラドンにとっては数多い男性の一人、しかしサティにとっては人生をかけて愛した女性、それがシュザンヌ・ヴァラドンだったのです。

左)モンマルトル美術館
右)エリック・サティかつての住居

そして美術館の近くで見つけたサティのかつての住居「6」!
わおーーっ!ここにサティがいたのですね✨。

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さらにさらに、2020年2月<奇蹟のバルセロナ展>の展示室。
バルセロナからパリ・モンマルトルに渡った画家たちの作品を観ていたときにカンヴァスの中に「あの」サティの姿を見つけました。サンティアゴ・ルシニョールの描いた『ボヘミアンー室内のエリック・サティ』(左下の画像)。
そうか、サティはアーティストたちが集まるモンマルトルのキャバレー「シャ・ノワール」のピアニストだったのですね。

人間嫌い」を自称する憂鬱気質のサティが、自らのプライペートな空間にルシニョルを招き入れたという事実は特筆に値する

<奇蹟のバルセロナ展>図録の解説より

図録の解説を見て、うんうん。「人間嫌い」「憂鬱気質」…やはり私がイメージするサティなんだ!とちょっと安心しました。
描かれている部屋は私がパリで見たあのアパルトマン「6」のお部屋かしら?そして部屋の隅で肩を落とすサティは、ヴァラドンに振り回されていたのかしら・・・。多くの男性の人生を大きく変えた女性=ヴァラドン。恐るべし。

左)サンティアゴ・ルシニョル『ボヘミアンー室内のエリック・サティ』1891年
右)2000年<エリック・サティ展>図録

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そして昨年12月。
古本屋さんをぶらぶらしている時に見つけたのが、2000年に開催された<エリック・サティ展>の図録(右上の画像)。
(ちなみに2015年に開催された<エリック・サティとその時代展>ではなく、その5年前に伊勢丹美術館で開催された展覧会の図録です。)

あらっ?図録の表紙で「あの」サティが素敵な笑顔を浮かべています。年齢を重ねて魅力的な笑顔になれる。。。ということは、その後の人生、幸せに送ったのかしら?

私の人生にちょいちょい登場してくるエリック・サティという人物。何かご縁があるのかも、もっと知りたい!と思って図録を購入しました。お値段350円、お買い得でした。

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エリック・サティ(Erik Satie)。
1866年フランス 🇫🇷に生まれ、1925年59歳で亡くなっています。
モンマルトルに居を構えて『ジムノペティ』や『グノシエンヌ』を作曲したのは20代前半。その後 画家のラモン・カサス、サンティアゴ・ルシニョール、ユトリロと交流を深め、20代後半にシュザンヌ・ヴァラドンと愛人関係を結ぶも すぐに終止符を打ったのですね。

サティはその後も多くの芸術家と交流を持ちます。
音楽家ドビュッシー、ラヴェルに影響を与え、
キュビスムの画家のアルベール・グレーズとアンドレ・ロートはサティが作曲した舞台の衣装を担当。
詩人ジャン・コクトー、画家のピカソと出会い、共にバレエ舞台を制作。
ブランクーシ、ジョルジュ・ブラック、マン・レイ、フランシス・ピカビア。。。

時代の寵児と呼ばれるアーティストの名前が次々出てきます。
そして一番驚いたのは、多くの芸術家がサティを描いていることでした。

左上から右回りに
ミゲル・ユトリロ作1888年
サンティアゴ・ルシニョール作1891年
アントワーヌ・ド・ラ・ロッシュフーコー1894年
マルスラン・デブータン1893年
フランシス・ピカビア1953年
ルネ・マグリット作1958年
パブロ・ピカソ作1920年
ボナ作1990年

うーーーん。“アーティストごころ” をそそる風貌と、描きたくなるほどの人望があったのでしょうね。いい顔してますよ、サティさん。
【一人の作曲家だけにスポットライトを当てた展示会】 というのがなかなか想像できなかったのですが、なるほど。
音楽を「聞かせ」なくても「見せる」だけの展示会も成立したわけです。

そしてサティが人生の中で最も重要な関係を結んだのが愛人シュザンヌ・ヴァラドン(ユトリロの母親)。彼女に関係する作品もありました。

左)シュザンヌ・ヴァラドン作『メダイヨンに描かれたサティとラトゥール』(1892-93年)
中)サティ作『シュザンヌ・ヴァラドンに捧げられた細やかな歌曲の楽譜』(1893年)
右)サティ作『シュザンヌ・ヴァラドンとの関係を記念する掲示用文書』(1893年)

画像・右)の文書には「1893年1月14日恋愛関係が始まり、同年6月20日にその関係が終わった」と書いてあり、書面の上部に固定されているのはヴァラドンの髪の毛の束だそうです(涙)。サティは生涯を通じてこれを部屋に掛けていたそうですよ(涙、涙)。

左)エリック・サティ『自画像』1924年
右)シュザンヌ・ヴァラドン『私の肖像』1894年

ヴァラドンと共に暮らしたのはわずか6ヶ月。その間にサティは300通ものラブ・レターを書いたそうです。
ううーーっ、自信に溢れ余裕ある笑顔のヴァラドン(自画像)。魅力的でありますがやはり恐るべし。

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サティの図録を読みながら、彼のことを考察するにあたってダウンロードしたのがエリック・サティのピアノ曲。
『3つのジムノペディ』『6つのグノシェンヌ』『ジュ・トゥ・ヴ』。
音のない空間にゆったりとしたピアノの調べが広がり、私の心に染み渡っていきます。少しずつ、少しずつ。
感想はやはり「どこか物悲しく美しい」!以前受けた印象と変わっていません。

しかし、「がっつり」サティと向き合って気がついた事があります。
「不意に」出逢うサティの魅力、ドキドキ感は群を抜いているのですが、「がっつり」向き合うと “無性に惹かれる” 気持ちが減退してしまうのです。
サティの曲、彼の人生についてまだまだ知らないことばかりなのに断定するのは失礼なのですが、私にとってのサティ観は、きっと間違っていないのだと思います。
「がっつり」ではなく「不意打ち」がいい!
そして、もしサティという男性がそうであったとしたら。。。
シュザンヌ・ヴァラドンのことを責められないかも知れません。

エリック・サティ。
「一番のお気に入り曲」にはならなかったのですが、不意に流れるとやはりドキドキします。そして肌に隠れた鳥たちがフツフツと反応するのです(鳥肌)。
おーーーっ!そういう意味で目覚まし音楽にサティを設定している旦那さんは、もしかして何年も前に私とサティの全てを見抜いていたのかも知れません!
だって毎朝「不意に」流れてくるメロディで気持ちよく目が覚めるのですから。
ヴァラドン以上に恐るべし!は隣にいる旦那さんだったのでした。

<終わり>

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