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フィレンツェ〜アカデミア美術館のダヴィデ(予習)

先月、友人と国立西洋美術館・常設展を鑑賞しているとき、
「このダヴィデって、さっきのダヴィデのことだよー」
と偉そうに話しました。

左)ティントレット『ダヴィデを装った若い男の肖像』1555-60年頃
右)グエルチーノ『ゴリアテの首を持つダヴィ』1650年頃

つまり、画像・左の男性は、ゴリアテを退治した “ダヴィデ” (画像・右)に扮装しているんだよー、ということ。
友人から、
「扮装? 二人は全然違うね。そもそもダヴィデって何者なにもの? 」
と聞かれて・・・実は私もダヴィデのことがよくわかっていないことが、わかりました。

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『西洋美術解読事典』によると “ダヴィデ” とは、

イスラエルの王となった羊飼いの少年。この複雑で多面的な人物についての聖書の記述は、多くの伝説的要素に取り巻かれている

『西洋美術解読事典』ジェイム・ホール氏著・高階秀爾氏監修

とした上で「複雑で多面的な」ダヴィデについて7つのエピソードを挙げています。

 [1] サムエルに油を注がれるダヴィデ
 [2] ハープを奏でるダヴィデ
 [3] ライオンと熊を殺すダヴィデ
 [4] ダヴィデとゴリアテ
   a) 戦い
   b) ダヴィデの凱旋
 [5] ダヴィデとアビガイル
 [6] 契約の箱の前で踊るダヴィデ
 [7] ダヴィデとバテシバ

『西洋美術解読事典』より

そういえば、“ダヴィデ” が出てくるタイトルの美術作品をこれまでも数多く目にしてきましたが、あまり深く考えたことがなかったのです。
“預言者” として老年のダヴィデ(イスラエルの王となってから)のエピソードも多く描かれているそうです。

私が驚いたのは [7] ダヴィデとバテシバ
絵画でよく主題とされるエピソードであり、また私がルーヴル美術館で魅入られたのがレンブラントの描いたバテシバ。

レンブラント・ファン・レイン『ダビデ王の手紙を手にしたバテシバの水浴』1654年

確かに、タイトルに『ダビデ王の手紙を〜』とありますね。

水浴びをしていた美しい人妻バテシバを見初めて関係を結び、その後バテシバの夫ウリヤを最前線に送り込んだ非道な王様は、なんとあの、正義感が強い勇敢な少年ダヴィデだったのですね⁈。全く知りませんでした。

私が知っていた(=常設展で友人に話した)勇敢なエピソードは [4] ダヴィデとゴリアテです。
青銅の甲冑に身を包んだ2mを優に超える大男・ゴリアテが攻め入ってきた時、勇敢にも皮製の投石器一つで立ち向かった少年=ダヴィデ。
ダヴィデはゴリアテのひたいめがけて石を投げ、倒れたゴリアテの剣を奪って首をはねたと伝えられています。

ダヴィデとゴリアテをテーマにして、多くの画家や彫刻家が作品を残しています。なので今回はこちらのエピソードに集中しましょう。

左)ドナテッロ『ダヴィデ像』1440年頃(バルジェロ美術館)
中)ヴェロッキオ『ダヴィデ像』1473–75年(バルジェロ美術館)
右)ベルニーニ『ダヴィデ』1623-24年(ボルゲーゼ美術館)

画像・左)…ドナテッロのブロンズ像は有名ですね、彫刻作品をほとんど知らない私でも美術書で見たことがあります。

画像・中)…ヴェロッキオはレオナルド・ダ・ヴィンチの師匠として知られ、この『ダヴィデ像』も美しき少年ダ・ヴィンチをモデルにしたと言われています。美しい✨。
そして足ものとゴリアテの頭はダヴィデ像とは独立しており、写真のように両足の真ん中に置く?・・・それともダヴィデの右横に置く?・・・どこに配置するかは展示者の解釈に一任されているそうです。独立した彫刻作品が一つの作品となっており、その完成が後世の我々に託されているなんて、面白いですね。

画像・右)…ベルニーニが表現したのは、まさに今投石しようとしている躍動感に溢れたダヴィデ。顔の表情も素敵です。

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しかし『ダヴィデ像』と言えば、やはりミケランジェロの『ダヴィデ像』。
昨年noteに『ダヴィデ像』のほこり払いの様子を伝えるネットニュースについて投稿したとき、何度も映像を見てダヴィデの姿を目に焼き付けました。

5mを超えるミケランジェロの “ダヴィデ” は、眉間にわずかな皺を寄せ「いかつい」鼻としっかり厚みのある唇をして、前方を睨みつけているようです。力強い瞳と恐ろしいほどの神々こうごうしさに魅了されました。

ミケランジェロ『ダヴィデ像』1501年-04年(部分)
※画像はアカデミア美術館HPより

ミケランジェロによって大理石から彫り出された「青年」ダヴィデは、百戦錬磨の大男ゴリアテを前にしても怯むことなく堂々と立ち、右手に石を握りしめています。
正義感、怒り、闘志を自身の中に溜め込んで、今まさに爆発せんとする瞬間なのですね。

シニョリーア広場に立ってフィレンツェの街を見守っていたこの『ダヴィデ像』は1873年、原寸大のレプリカと入れ替わりにアカデミア美術館に移されました。作品を保護するためですね。
アカデミア美術館・・・やはりフィレンツェにあります(^^)。
どんな所なのでしょうか(ここからが「予習」です)。

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1784年に建設されたアカデミア美術館には、美術学院に通う生徒の研究を充実させるために、ウフィッツィ美術館とピッティ宮殿からメディチ家の美術コレクションの一部が集められました。また1810年、侵攻してきたナポレオンによって禁止された教会から祭壇画などの美術品もここに集められたのだそうです。

アカデミア美術館HPより

現在 一番重要なコレクションとなっているのが『ダヴィデ像』。
アカデミア美術館のホームページを開いてみると、奴隷のギャラリーと呼ばれる通路の正面に『彼のお姿』が見えています。
もし訪れることができたなら・・・。
まずは焦らず、ギャラリーに並ぶ未完成大理石作品『奴隷』たちにミケランジェロが直接残したノミ跡を感じながら進みたいものです。
そして・・・ゆっくりとダヴィデのトリブーナ(特別な展示室)に足を踏み入れましょう。“ぐるりといろいろな角度から鑑賞” することができるように設計されています。

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ぐるりいろいろな角度から鑑賞” したい作品といえば・・・。

アカデミア美術館にある[祭壇画コレクション](コロッソ)の部屋。
ここには、スケッジャ、ペルジーノなどの祭壇画コレクションがあり、その中央に展示されている彫刻がジャンボローニャ『サビニ女の略奪』の原型です。

『サビニ女の略奪』とは、
ローマ建国を果たしたばかりで女性がいなかったローマ人たち。子孫を得るため、祭りを口実にして 近くに住むサビニの人々を招き入れ、女性たちを力づくで掠奪した、という恐ろしいローマ建国のエピソードです。

実は昨年末に一気読みした『フィレンツェ・ルネサンス55の至宝』(森田義之先生)の写真を見て「いつか実物を見たい!」と思ったのがこの作品。
螺旋状に絡み合う男女の身体は、360°どこから見ても異なる表情(画像・右)をしており、肉体のしなやかさ、人々の悲痛な叫び、熱い想い・・・全てが絡み合う「美」を永遠と鑑賞していられるような気がするのです。

左)ジャンボローニャ『サビニ女の略奪』1581-83年
中)後ろから見た『サビニ女の略奪』(『フィレンツェ・ルネサンス55の至宝』より)同じ作品とは思えない!

シニョリーア広場には『サビニ女の略奪』の大理石作品が展示されているのですが、広場にはミケランジェロ『ダヴィデ』(レプリカ)やドナテッロ『ユディトとボロフェルネス』(レプリカ)などなど錚々そうそうたる作品が並んでいます。興奮と目移りが原因でじっくり鑑賞できないに違いありません。

『サビニ女の略奪』は、アカデミア美術館にある原型でじっくり鑑賞したいものです。【必見メモ】に大きく記入しておきます!

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アカデミア美術館は、
ボッティチェッリ『聖母子、聖ヨハネと二人の天使』やポントルモ『ヴィーナスとキューピッド』といった絵画作品も所蔵しているようです。

左)サンドロ・ボッティチェッリ『聖母子、聖ヨハネと二人の天使』1468年
右)ヤコポ・ダ・ポントルモ『ヴィーナスとキューピッド』1533年

どちらも見たい!
また、メディチ家の紋章入りのストラディバリウスや、現存する最古の縦型ピアノなどが展示してある[楽器美術館]もあるのだとか。。。

見逃さないようにしなければ・・・【必見メモ】にメモ!!!

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『フィレンツェ・ルネサンス55の至宝』(森田義之先生)より

地図(画像・上部)を見ると、すぐ近くにはサン・マルコ美術館もあります。
必ずや・・・訪問したいものです。

<終わり>

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