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… からの『二枚の絵』 ②

前回からご紹介している『二枚の絵』。
各界の著名人50名が、世界中の名画から二枚の絵を選び、比較しながら絵に隠された物語を読み解いていくという、毎日新聞・日曜版(1995年〜1998年)の連載を編集・再構成した本です。

◉1ページ目 … それぞれの著名人が二枚の絵を選んだ理由は、選者の個性と世界観がドーーンっと出ています。新鮮な驚き、共感、納得もあれば、「そうかなぁ」「私とは違うかも」といった、ちょっとした反発を感じるところも面白いのです。
◉2、3ページ目 … 見開きで左右に並んだ二枚の絵をじっくり鑑賞。
◉4ページ目 … 美術史の専門家がそれぞれの作品について解説してくれる
というワンセットが50人の著名人分あるのです!

『二枚の絵』勝國興氏のページより
右から「選んだ理由」→見開きページで「絵画紹介」→左には「専門家の解説」

絵画の解説を読んで前の見開きページに戻って再び二枚の絵を鑑賞することで、自分なりの新たな発見ができるという仕掛けなのですね。
素晴らしい!

前回に続いて、私が気になった『二枚の絵』に注目してみました。

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左)雪舟が1490年代に描いた水墨画と、右)オランダ出身のモンドリアンが20世紀に描いた油絵⁈。意外な組み合わせです。

左)雪舟『秋冬山水図:冬景』1490年代
右)ピート・モンドリアン『木々のある風景』1911-12年

日本美術史家の山下裕二氏が選んだ二枚の絵のテーマは… “抽象へ向かう意志”。
ほーーーっ。面白いですね。

私はこれまで二つの<モンドリアン展>に足を運び、資料を読んでnoteに投稿したことがあります。
なので、右)ピエト・モンドリアン(1872-1944年)の作品からは、“抽象に向かう意志”を感じることができるのです。

参考)ピエト・モンドリアンの抽象への過程・乱暴な引用をお許しください

しかし、雪舟については何も知らないため、雪舟と “抽象化” というワードがピンと来ません。というか、雪舟の水墨画を、どのように鑑賞したらいいのか さえよくわかっていないのです。

選者の山下氏はこう語ります。

雪舟は1402年生まれ、モンドリアンは1872年生まれだから、400年以上の隔たりがある。__中略__。でも、私はこの二人の画家には、「三次元を二次元に再構成する」という、あたりまえすぎる絵画の約束事をかなり真剣に全うしようとしていた点で、通じ合うところがあると思う。

『二枚の絵』山下裕二氏の解説より

へぇ〜、そうなのですね。
そして山下氏によると、
ピエト・モンドリアン(1872-1944年)は、この「三次元を二次元に再構成する」という約束事に、まじめすぎるほど真摯に取り組んだ結果ついに、垂直線と水平線で区切られたスペースを、赤、青、黄色だけで塗り分けた「絵画」を量産してしまったのだそうです。
確かに私も、モンドリアン=「まじめ」「突き詰める」というイメージがあります。

一方の雪舟(1420-1506年)、山下氏によるとモンドリアンより400年以上も前にはるかに不自由な環境に生まれながら、モンドリアンより不真面目で、生理的感覚に正直だったというのです。どういうことでしょうか?

山下氏は雪舟の『秋冬山水図:冬景』について、
誰が見ても「上手い」と思えるところがほとんどないこの小さな絵が、なぜ雪舟の代表作なのか理解するのは難しい!
とした上で、この作品の魅力について語ります。

雪舟『秋冬山水図:冬景』1490年代

まるで芝居の書き割りのように、手前から奥に無骨な岩や山を重ねてゆく。右上に覆いかぶさる岩はとくに圧巻だ。そして、それぞれの岩や山は、空間や重力をあらわすと同時に、その面と線が、平面としての画面を構成する要素として機能している。
つまり、雪舟は景観をあらわしながら、二十世紀で言うところの抽象に片足を突っ込んでいるのである

『二枚の絵』山下裕二氏の解説より

なるほど。「三次元を二次元に再構成する」という約束事を、こんな風に=「生理的感覚に正直に」実践しているのですね。雪舟作品の鑑賞方法のヒントにもなりました。

中国で水墨画を学んだ水墨画の大家であり、禅僧でもある雪舟。
そういえば水墨画は「禅の精神」を表すと聞いたことがあります。
精神を統一して真理を追求する「禅の精神」・・・そして抽象画
モンドリアンが「まじめ」に「突き詰めた」抽象画・・・そして禅の精神。
余分なモノを削ぎ落として引かれた線にはダイナミックな緊張感があり、洗練された画面、純粋な美へと向かう意志= “抽象へ向かう意志” を見てとることができるという訳ですね。

雪舟とモンドリアンには「通じ合うところがある」という山下氏の言葉に、大きく頷くいた次第です。

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次のテーマは “アトリエと自画像”。

左)鴨居玲『1982年 私』1982年
右)ギュスターヴ・クールベ『画家のアトリエ』1855年

鴨居玲(1928-1985年)の作品『1982年 私』左)は、ギュスターヴ・クールベ(1819-1877年)『画家のアトリエ』右)を模して描いたとも言われています。
歌人・エッセイストの俵万智氏は、「ど・ストレート」にこの二枚をぶつけてきたのですね。

右)『画家のアトリエ』でクールベの右側にいるのは、ボードレールやプルードンといった「現実」の友人や支援者たち。
しかし俵万智氏は、オルセー美術館で本作を観たとき、これまでクールベが描いてきた登場人物=亡霊なのだろうと感じた、と言います。クールベは自分のアトリエにかつて描いた人々の亡霊を飼っている・・・と。

一方の鴨居玲について、俵氏はかつてこんな歌を詠みました。

珍しく饒舌になる父がいて鴨居玲とは如何なる絵描き

作:俵万智氏

お父様の影響でご自身も鴨居作品に魅せられていったそうです。
そんな俵氏は二つの絵を比較しながら鑑賞します。

クールベが描いたのがアトリエの「状態」なら、
鴨居玲はアトリエの「ある時間」を描こうとした。
クールベの登場人物を「そこに飼われている亡霊」にたとえるなら、
鴨居の登場人物は「彼の弔いのために あの世から集まってきた者たち」に見える。白いカンヴァスは、無限の可能性ではなく、画家の死後、顔に被せられる布とような、残酷な光を放っている。恐ろしい絵だ。
鴨居はクールベと同じモチーフを用いながらも、彼が描いたのは結局「アトリエ」ではなく「自画像」だったことに、深い意味を感じる

『二枚の絵』俵万智氏の記述より抜粋

やはり俵氏は、鴨居玲に思い入れがあるようですね。

極限の集中力と緊張感がなければ描けなかったという鴨居は、この絵を描いた頃 アルコールと睡眠薬で体は危機的な状態にあったといいます。自傷行為を繰り返して3年後にこの世を去った鴨居玲。
彼の痛みと苦しみをしっかり感じながら作品を鑑賞する俵氏とは違い、私は胸がキュッと痛んで、鴨居作品をゆっくり鑑賞することができないのです。

再登場! 左)鴨居玲『1982年 私』1982年
右)ギュスターヴ・クールベ『画家のアトリエ』1855年

かたやクールベ作品。
実は、noteで知りあった友人ルンナさんの影響で、「クールベ」というワードに敏感になっている私は、[クールベの作品評]や[クールベに影響を受けた画家]という記述にとても興味があるのです。
そして「どれどれ、友人の彼氏はどんな作品を描いているのかな」と勝手な解釈をプラスして作品(というかクールベ氏)を鑑賞することになるのです(笑。

なので私は『画家のアトリエ』でオルナンの風景を描きながら誇らしげにカンヴァスに向かうクールベ氏が、
「私の作品に見向きもしない人たち(左側)もいるけれど、見てごらん!良識ある人たち(右側)、そして純粋な心を持つ子供や動物は私の絵が好きなんだ。絵画の女神も私に夢中なのさ!」
とドヤ顔で自慢しているようで、とても楽しいのです。

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この二週間、ずっと楽しんでいる『二枚の絵』。
もう一つだけ考察したい二枚の絵があります。
ちょっと長くなったので次回投稿に続く、とさせてください。

<終わり>

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私の友人ルンナさんのクールベ愛。是非こちらでお読みください!


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