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【パブリックヘルス総論①】「健康」とはなにかーその定義・意義を考えるー

はじめに

現代社会において、「健康」「ヘルスケア」「ウェルビーイング」といった言葉は、日常的に使用されています。厚生労働省の「健康日本21(第三次)」や経済産業省の「健康経営」などの諸政策、さらには様々な企業による健康関連サービスの展開など、産官学が様々な「健康」に関する取り組みを進めています。

しかし、これほど「健康」への関心が高まっているにもかかわらず、その本質的な意味や内容について深く議論されることは少ないように思われます。この記事では、WHOによる定義をベースに、「健康」とは何かについてあれこれ思うところを書いてみました。あまりエビデンスベースドな話ではなく、個人の感覚・感想に近いような内容がベースとなっていますので、あらかじめご容赦ください。

WHOによる「健康」の定義

「健康」の定義で広く参照されているのは、世界保健機関(WHO)による定義だと思われます。WHOは「健康」を以下のように定義しています。

Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.

https://www.who.int/about/governance/constitution

日本WHO協会は、以下の日本語訳をあてています。

「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。」

https://japan-who.or.jp/about/who-what/identification-health/

この定義から、以下の重要な点が浮かび上がります。

  1. 「健康」とは、単に病気がない状態を意味するものではない

  2.   肉体的、精神的側面だけではなく、社会的な側面が含まれている

  3. 「Well-being」(ウェルビーイング)が、「健康」を説明する一つの概念として位置付けられている

以下では、これらの3つについて、簡単に検討してみようと思います。

「健康」と 疾病の有無

健康であることについて、病気が無い状態を真っ先に連想する方も多いのではないかと思いますが、WHOの定義では、健康=疾病の有無という考え方は取られていません。そのため、「病気ではないにもかかわらず、健康ではない」という状態が存在することとなります。

これは、国民皆保険制度を中心とした我が国の健康政策を考えるにあたって、どこまでを「健康」政策の対象に含めるか等、様々な議論のベースラインになる可能性があります。例えば、ある人が病気を抱えていなくとも、社会的に孤立し強い孤独感を感じている場合、その人は「健康」ではない可能性が考えられ、地域コミュニティ等の社会資本を活用した孤独対策は、健康政策の一環あるいはその側面を有するといえます。それ以外にも、ヘルスケアスタートアップで具体的な事業を検討するにあたり、疾病の治癒・予防以外の領域をヘルスケアビジネスとして位置づける余地も出てきそうです。

このように考えると、WHOが「健康」を疾病の有無のみで判断をしていないことは、具体的な政策やビジネスを検討するにあたって重要な示唆を含んでいるように思います。

「健康」の社会的側面

WHOの定義によれば、「健康」には社会的な側面も含まれています。「健康」という概念が単なる個人の心身の問題だけではなく、周囲の環境・社会経済要因などにも大きな影響を受けていることを意味します。そのため、「健康」にアプローチするためには、単に医学的な観点だけでなく、社会学、心理学、経済学、都市工学、環境学など、様々な分野の専門家によって議論される必要があることを示唆しています。

事実、医療政策において、「ヘルスインオールポリシー」という概念が提唱されています。また、厚生労働省の「健康日本21(第三次)」は、生活習慣病の予防や社会環境の整備などを掲げており、WHOの定義に沿った多面的なアプローチを採用しているといえます。

なお、社会的側面が人々の健康にいかなる影響を与えるのかに関しては、パブリックヘルスの研究者らによって多数の研究結果が報告されており、「健康の社会的決定要因(SDH: Social Determinants of Health)」という用語で説明されます。このSDHは、パブリックヘルスの学ぶ上で非常に重要な概念であり、筆者がパブリックヘルスの有用性・重要性を強く感じている主要な理由の1つであるため、別の投稿にて説明しようと思います。

「健康」と「ウェルビーイング」との関連性

近年では、「ウェルビーイング」という単語も様々な場面で使われるようになっています。例えば、国の施策では、デジタル田園都市国家構想の一環として、自治体の健康関連の取組みに関する指標(地域Well-being指標)が開発されています。

しかし、「ウェルビーイング」の意義は明らかでないことも多く、「健康」との区別の曖昧なまま運用されているのが実情だと思われます。

WHOの定義に照らすと、「ウェルビーイング」とは、満ち足りた状態であり、それが肉体的・精神的・社会的に達成された状態が「健康」であるという整理をすることができます(もっとも、肉体的・精神的・社会的に「ウェルビーイング」が達成された状態が「健康」であれば、それはもはや「健康」=「ウェルビーイング」では?という指摘もあり得るように思いますが。)。

WHOの定義をどのように位置付けるべきか

WHOの定義は広く受け入れられており、多くの文献で引用されています。しかし、違和感をおぼえた方もいるのではないでしょうか。

実際、WHOの定義を読んで、「健康」についてクリアなイメージを持てた人は少なく、むしろ何でもありな印象を受けた方が多いのではないでしょうか。理想主義的な定義は、「健康」である状態を達成することが事実上不可能であったり、ごく限られた集団でしか達成できない可能性を内包しているように思います。また、この定義が1948年から変化していないことに違和感を覚える方も多いのではないかと思います。事実、このように感じている識者も多く、批判的な論文が多数出されています(Jadad & O'Grady (2008)、Huber et al. (2011)など)。

個人的には、「健康」の定義に何を求めるかによってWHOの定義の適否は変わり得るように思います。究極的な目的・スローガンとして「健康」を位置づけるのであればWHOの定義は合理的だと思いますが、多くの市民が現実的に達成可能なものと捉えるのであれば、理想主義的ですし、具体的に達成するべきイメージが持てないため、受け入れにくい定義になってしまうのではないでしょうか。

「健康」について考える意義

ここまで、「健康」について、WHOの定義を軸にしながら徒然なるままに書いてみました。

「健康」の定義を考えることは、私たちがどのような社会を目指し、どのような生き方を理想としていくのかを問うことに近いと思います。WHOの定義に批判はあるものの、「健康」が単なる身体状態を超えた多面的で複雑な概念であることは確かだと思います。そのため、「健康」を達成するためのアプローチに関し、医療の専門家だけでなく様々なバックグラウンドの方が参加し議論することが必要です。

「健康」の定義と意味について、より多くの人々が関心を持ち、議論を重ねていくことが、真の意味で「健康」な社会の実現につながるのではないでしょうか。

なお、筆者が弁護士ということもあり、個人的には法的な観点から「健康」をどのように捉えるかも重要な課題だと考えており、ある程度投稿がまとまった段階でポストしてみたいと思います。



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