つれづれ。
お菓子を作っている。
緊急事態宣言が出されるしばらく前から、
自発的自粛をし始めた。
はっきり言って、全然ひきこもる余裕なんてなかったが、
感染をすこしでも広げないために…
欧米の様子を見ていて、今は、おとなしくしていることが、できること
と言い聞かせて。
と同時に、どこかで、これでやっと動かなくていい大義ができた!と思っている自分もいた。
ずっと、動かずにじっとしていたかった。
「もう何もしたくない」と思った、20歳のあの日から。
その声を打ち消して、「何かやりたいこと探さなきゃ」と自分を動かしてきたあの日から。
わたしはずっと探していた。やりたいことを見つけなければ、動けなかった。動かないでいるなんて、許されなかった(と思っていた)。
だけど、なにをやってもある程度までやってわからなくなる。これ、ほんとにやりたいのかな?って。
そして、やりたいことが見つかってしまったら
わたしは、動けなくなっていたかもしれない。
やりたことがわからなくなるから、また次を探す。わからなかったからこそ、ここまで動いてこれたのかもしれない。。
つまり、動けなくならないために
わたしはやりたいことを見つけてこなかったのかもしれない。
(いえ、実際見つかっていたら、きっとそれをやっていたんだと思うけど)
だってあの時あたしは、ほんとに絶望していたから。
生きるか、死ぬか、くらいのところをはいつくばっていたから。
‐‐
まあ、それで、3月から出歩かずに、田舎に引きこもっていた。
やっと、引きこもる時間が取れる、やっと、行きたくない仕事に行かなくてすむ。とことん、じゃあどうしたいの?どう生きたいの?と向き合おうと思っていた。(いやー、これまたまた探してるじゃん(笑))
なーんにもしない、をしたかったはずなのに、探すことにまたやっきになってた・・
あとは、とことん頼る!甘える!受け取る!をするときなんだわー。なんて思っていたんだけど…
いろんなことが重なって、今、お菓子を作っている。w
おや?(笑)
とりあえず今、自分の中から出てきたものがそれだった。
どうやら、なんにもしない、はできないのかもしれない。
というか、いろんな状況を振り返ると、『出せー出せー』って、宇宙に言われてるのかもしれない。
動かざるをえない状況がずっと続いているのを見ると、
「あなたには、与えられるものがあるよ」、って言われてるのかもしれないなって思った。それ、使いなさいよって。
わたしは、いつも、(ヾノ・∀・`)ナイナイ、って言ってきたから。
循環のゲームなんだよって。
お菓子を欲しいと言ってくれた人は、よろこびからそれを求めてくれて、
自分にできることと、喜んで受け取ってくれる人
感謝と喜びの循環ゲームがおこっているのかな、なんて思った。
久しぶりにnoteをひらいたのは、
また改めて書くことをしてみようと思ったから。
自分史を、書いてみたいなって思ってる。人生の棚卸。