夢中になれるものを、探していたんですよね ずっと でも、 なんでも、夢中になればよかったのかもしれない。って、ふっとさっき思って 忘れぬうちにメモとして残しておく。 夢中になれるものをずっと探してたけど わたしが求めてたのはただ、 夢中になることだったのかもしれない。 目の前にあるものに夢中になればよくて やる前に夢中になれるかどうかなんてわからなくて でも、夢中になれるかどうか、で ずっと探してた気がする。 夢中になれるなにかを探すんじゃなくて 夢中になりたかった、
五感をつかう って、しばらくしていなかった なにかをしながら、 音声を聞きながら散歩したり 子供にごはんをあげながら自分のごはん食べたり 、、、 ながらですることがとっても増えて そのものをじっくりすること、しなくなってた。 ごはんを食べながら、メールしたり音声聞こうとした自分を、 はたと我慢して 目の前にあるおいしいパンとおいしいバターと コーヒーの香りと、窓からさす光を感じて味わったら 内側がとっても満たされた。 五感を充分につかって生きていたい、って思ったいたのに
ものすごく久しぶりにひらいてみた。 表現したいと言いつつ、もうずっと自分のことばを忘れているようなきもち というよりも、自分がなにを感じているのか それをつかめていないでいる。 感覚につながる時間すら 自分に与えずに 感じてるものをかき消すように なにか別のもので埋めているような 眺めるように 確かめるように また綴ってみたい。
あたらしく、また書いてみる。 書くことをやめていた。 こころを、ふるわさずに日々を送って 感じないように、していたんだ。 でももう一度、息を吹き返すように 自分のことばを取りもどすように 書き始めてみる。 なにを感じているのか、眺めるように。 _ _ _ 今日は仕事を休んだ。 ものすごく、勇気がいった。 そんなことできない、って思っていたけど 選んでみると、自分に力が戻ってくるのもかんじた。 怖さと罪悪感は出てきたけれど。 変化を起こすためにも、休むことを選択した。
お菓子を作っている。 緊急事態宣言が出されるしばらく前から、 自発的自粛をし始めた。 はっきり言って、全然ひきこもる余裕なんてなかったが、 感染をすこしでも広げないために… 欧米の様子を見ていて、今は、おとなしくしていることが、できること と言い聞かせて。 と同時に、どこかで、これでやっと動かなくていい大義ができた!と思っている自分もいた。 ずっと、動かずにじっとしていたかった。 「もう何もしたくない」と思った、20歳のあの日から。 その声を打ち消して、「何かやりたいこと探
やりたいこと、ワクワクすることをやろう! って波が少し前にあって そして更に、今回のコロナショックで 明日はどうなるかわからない、今目の前を大切にしよう、明日後悔しないために今何をするか?っていう波がまた来て、 また考え込むクセがぶり返した。笑 じゃあ、ほんとにやりたいことは?って でも、やりたいこととなんか違うことを認識することと、それを選択するかどうか(やるかどうか)はまた別の話だった。 むしろ、やりたいかやりたくないか、の右か左かではなくて(それがそのままやるかや
今日は、新しいお仕事。 お世話になっている方のお宅で 4日分ほどの家庭料理の作り置きを。 新しいことを始めるのは、少し苦手。 慣れるまでに時間がかかるから。 キッチンに立って、素材と向き合う。 それぞれの生命力とユニークな姿と どうしようかと対話しながら。 見つめて、触れて、感触を楽しんで ダンスするように交わる。 昔はそれが、瞑想のように感じていたけど 最近は少し軽やかになった。 ぱっと鮮やかになる色や 立ちのぼる香りや 聞こえてくる音に ふふふとうれしくなる。
冬至から始めた「2日に1回書く」も、 ついに立春まできた。 厳密に厳密にいうと、若干0時を回った時もあるけれど、それでもよーく頑張った‼️ 自分との約束を守るという意味では、 体力的にも時間的にもキツかった年末年始も インフルエンザか?高熱で死にそうだった時も なんとか頑張って書いた! 内容はさておき、書き切った!と言える! 素晴らしい‼️ 誰も読んでなくても、誰に向けて書いたわけでも、なくても、とにかくやってみたということを、褒めよう✨ _ しかし、気づいたのは、「決め
昨日は一日中お菓子を作っていた。 久しぶりの時間。 朝から、少しずついろんな種類。 お菓子が焼ける間の 待っている時間がすき。 オーブンから香る、甘い匂いと 膨らんでくるその姿に しあわせな気持ちになる。 日曜日の昼間、ってなんだかそんな感じがしている。笑 我が家のおかし担当はわたしで、 お母さんが作ってくれたという思い出ではないけど(逆に母が喜んでいた) 我が家に来たオーブンを1番使っていたのはわたしだったなぁ。 だからきっと、今でもわたしはおかしを作るのがすきなのか
純粋に自分が惹かれるもの 理由なんてなく心動くもの それ、また否定しかけてた。 だけどそしたらまたわかんなくなってた。 _ 今年は 会いたい人に会いに行って 理由なんてなくやりたいと思ったらやる (好きだと思ったら素直に口にする←これ、ホントやりたいこと) そう思った!
雨の音って 落ち着く。 シェルターみたいな感じがして 守られているようなきもち。 雨の音で洗われていく感覚もあって くっついていたものが落ちてく。 誰からも見えない繭のなかのような、 そんな安らかなきもち。
父と話したことからずるずるずるっとイモヅルのように、いろんなことに思いめぐり、いろんなことに気づく。 酔っ払った父が、(実家に)帰ってこないのか、と言った。3人兄妹だが、兄も姉も家が他にあり、仕事も忙しい。だれか帰ってきてくれるのか、歳とったぞ、面倒見てほしい…のようなことを普段はあまり口にしない父も、酔っ払って本音が出る。 グデングデンに酔っ払って、それまででもう十分ウンザリしていたわたしは、ついにそれにカチンときてしまい、「わたしにばっかり言わないで。わたしだけに、我慢
つづき お互いの胸の内を話すような家族ではなかったように思う。 みんな、仲は悪くないが、本心は知らない。何かに悩んでいるのか、うれしくて浮かれているのか、何も聞いたことがなかった(ような気がする)。喜びも悲しみも孤独も、なにも知らない。 わたしだけがそうなのかもしれないし、みんな一人ぼっちだったのかもしれない。自分の気持ちも話したことがあまりない。今も話せない。なにを抱えているのか。つらいことや、悲しいことも。 どこかで、言ってもどうせわかってもらえない。という想いもある。
「なんでも話せばいいじゃないか。 それが親子だろう。」と父が言った。 そんなこと今まで言ったことのない親だったので しかも昼下がりの人がたくさんいる場所で (周りは聞いていない状況だが) 突然言い出したので、わたしはとてもびっくりした。 「なんでも言えばいいだろう。 どうしようもないことだって、相談すればいいだろう。それで、怒られればいいじゃないか。」 親子ってそういうもんだろうって わたしは、こんな風な距離感を、家族の中で感じてこなかった。だからこそ、人と近づくのがこ
自分なんてまだまだ、とか 準備が不十分、とか 本当はやりたいことじゃないかもしれない、とか いろんな理由つけて先延ばししてしまうけど いまの自分のやれること全部を 表に出してみれるかな。 創造できるかな。 理由なんてなくてもいい? いつもすぐ引っ込めてしまうけど その先端に、立ち続けられる?