すべてはこの言葉に収束する
※花束みたいな恋をした のネタバレを多く含みますのでご注意を
すべては、この言葉に収束する
"恋はパーティーみたいなもの"
よくある感想かもしれないが、暇つぶしに最後まで聞いてほしい
自分にもこんな恋人がいた。
とてもリンクしていた。
正社員となり、仕事で頭がいっぱいになり、
悲しくなり、「現状維持」を求めているのが自分だけになり、虚しくなり。。
ムギくんは、パン屋のことを何も思わなくなり、
キヌちゃんと共有していた趣味や価値観に何も感じなくなり、やがてキヌちゃんに苛立つようになった…
なんで、苛立っていたんだろう
元々は自分のやりたい「絵」で食べていくための、とりあえずの仕事で、
その中で仕事の人たちの価値観に知らず染まり、日々忙殺され、でも「キヌちゃんと居たい」そのために「お金が必要」だったから"責任"として違和感=自分の本当の感情を追いやっていた。
そのうちに、それが当たり前となり、キヌちゃんのことも理解できなくなった。それを成長だと思った。
でも、キヌちゃんは、学生の=自分を保ったままだった。
きっと、本当はうらやましかったんじゃないかと思う。そうありたかった姿だ。今はそれすら理解できないけど。
でもふたりの価値観や感覚は同じだった。根底のものは。
だから、もうムリだなと感じたときも、そして、ムギくんが「恋人」という責任から解放されたあとの3ヶ月をおだやかに過ごせたのも、そういうことなんだと思う。
"恋はパーティーみたいなもの"
を、キヌちゃんだけでなく、ムギくんも悟ったのがあの、最後のファミレスで学生カップルを見たときだったのかな。
もう戻れないんだ。パーティーが楽しかったからと言って、時間を巻き戻すことはできない。
そして、お開きのときは必ず来るもの。
「楽しかったね」と語りあえるだけで幸せかもしれない。
だからふたりは涙をこぼしたし、笑顔でキスをした。
あの頃のふたりに戻ろうなんて、ムリなお話なのだ。時間は流れている。
だから「これから」に切り替えられた。
パーティーの前に戻るんじゃない。パーティーの後の日常をまた歩いていくために。
どうしたって、楽しかったパーティーをふと思い出すことはある。でもそれは楽しい"思い出"でしかない。それはふたりもきちんと理解している。
最後にムギくんが見つけたふたりの写真は、
あのときのキラキラしたパーティーの一瞬だった。
宝物みたいなものを見つけられて、それで「喜んだ」んだと思う。
そんな今のふたりが、またこの先、交差することもあるのかもしれない。
でも、きっと、そうなるとしたらそれは、
「自分の感情や価値観」に素直なふたりだけだと思う。
#映画感想文
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?