自らの授業を自己解説する①
同僚から借りている『アオアシ』という漫画。
ふと手にとり読んでみた。
まだ読んでいない14巻だった。
その中で主人公がプレミアリーグで行った自分のプレー中の姿を動画を見せ、友達に解説している場面があった。
主人公は最中こう思う。
「すごくすらすら出てくる。自分のことがよくわかる。」
私は最近自分の動画を見て、子どもの姿から授業を振り返っている。
しかし、どうしても抽象的で曖昧な言葉がノートに並んでしまう。自分の授業の何がいけなかったのか、具体的に落とし込めないのだ。
そこで、上記のように自分で自分の授業を解説してみた。
すると、2つの点がすらすらと出てきた。
①なぜ自分がそうしたのか
②改善策
である。
①なぜ自分がそうしたのか
今までは子供のこういう姿があるから、これはダメだった、というところまでしか落とせなかった。しかし、授業行為を解説することで「意図」が明確になった。「このためにこうした」という目的がはっきりした。逆に、解説ができない場面は意図がなくしている行為だというのもわかった。
②改善策
意図がわかる。しかし、そのように子どもが動いているかというとそうではない。そこで、改善が必要となる。“誰かに教えるつもりで”行うと質が高まる。具体的な代案が出てきやすい。自分で自分のダメなところを見つめるよりずっと良い。
1つの漫画のたった1つのシーンから修業に繋がる。
何が起こるかわからない。
だから修業は面白い。