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メメント・モリ
このタイトルを見て、CMでやっているスマホゲームのことと思ってタップされた方、残念ながら全く関係ない記事なので、初めに申し上げておく。
タイトルの『memento mori』はラテン語で『死を想え』とか『死ぬことを忘れるな』とか、終わりを意識することで現在を大切に生きようとする考え方で、スティーブ・ジョブズのスピーチにもあったような有名なフレーズである。
先日、めでたく40歳の誕生日を迎えることが出来た。
40歳。
さすがにずしりと重たい響きがある。
老いたということよりも、40年の時間が経ったという事実が色々と考えさせる。
40年のうち、一体何年間をちゃんと生きてきたと言えるだろうか。
無為に生きてきた訳ではない。
が、果たして自分の魂に向き合ってきたかと問われると、そうでは無かった様に思う。
それは置かれた環境下で、その環境下において求められる事象に対して、労力や時間を費やしてきたことに因る。
誰しもがそうだろうが、
部活であったり、受験であったり、サークル活動であったり、バイトであったり、仕事であったり、恋愛であったり、家庭であったり。
自分がその時期に属する集団から求められる『期待』に応えるべく、労力や時間を費やすことが『社会的』であると言え、それをこなしていくことによって集団から信頼を得、社会的立場を構成していく。
その為、集団での立場を顧みず自分の意思に真っ直ぐに従って生きていくには、非常に多くの逆風に晒されることになる。
一番良いのは、自分の目的に適った集団に属し、そこで無駄なく自分の時間と労力を惜しみなく使うことが出来れば良いのだろうが、そんな集団に属することは極めて困難であり、それが出来なければ目的を諦めなければならないというのは、とても酷な話だと思う。
どの集団に属することが出来るか、これは巡り合わせや運に左右される要素が強すぎる為、結局は自分の置かれた状況下においてベストを尽くさなければならない。
要約すると、なりたいと思ってもプロ野球選手になれる訳ではないし、なれたとしても、自分が活躍したい球団で、やりたいポジションにつける訳ではないということ。
長々と書いたが、その時々においてやらなければならないことをこなしていくうちに、どんどん時間が過ぎていってしまい、本当に自分がやりたいことが疎かになっていたなということを改めて実感した。
置かれた環境でベストを尽くしていたつもりが、自分の本当にやりたいことからどんどん遠ざかっていった様に思う。
更に色々、病気というか障害というか、やっぱり歳を重ねると身体にガタがきて、動きも制限されてくる。
そういう事情もあって、この「メメント・モリ」という言葉を念頭に置いて過ごす様になった。
とは言え、毎日は忙し過ぎてやることも多いし、夜は疲れている。
だから、毎日5時に起きて音楽活動を行なっている。
作曲したり、編曲したり、動画編集したり、snsの準備したりと、いわゆるジョギングやトレーニング等を行う朝活みたいな感じだが、一番余力がある状態なので作業が捗りやすい。
こんな訳で、毎日朝7時にXやInstagramで、自分へのサボり防止の戒めとして発信をしている。
うざいと思う方はミュートやブロックをして頂いて構わないが、少しでも興味を持ってもらえた方には、何かしらの楽しみになる様に趣向をこらしていきたいと思う。