コロナ禍に毎晩1話ずつ『粋な夜電波』を聴いた日々のこと (シーズン1・第1回)
6月29日(22:59)
思えば、外出自粛の推奨を契機にもたらされた、都民としてある程度の責任感は、コンビニを中継しながら夜な夜な飲み物片手に散歩する習慣にたどり着いた。昼過ぎに起き、ぼんやりとしている間に日が落ちて、夜になって靴をはいてカギを閉める。その2ヶ月間は、人生で最も時間を持て余した期間になっていく予感と共に過ごした。
責任感とは言ってみたものの、地に足をつけて(徘徊して)いられたのは、怒りがあったからだ。生活が淡白なほど、政治や社会のトピックスはビビッドさをもって直接感情を刺激する。救いがなく、知らないうちに積み重なっていくものは音を立てて燃えた。
すべてを放置してきた自分に対して、事実そのものに対して。両者への怒りが歪なバランスをとった結果、ガラス扉に陳列されたアルコールやソフトドリンクはつかみ取られ、飲み干された。
事態はむしろ悪化しているように思えるが、6月に入ってからは毎日出勤している。
1ヶ月近くを過ごしたいま、仕事が、仕事以上でも以下でもでもないとやはり気づく。
夜になったから散歩に行く。
朝になったから会社に行く。
週末だから出かける。
夜だからコンビニに行く。
夜だから『粋な夜電波』を聴く。
あの頃とトンマナは変わらない。
怒りすら湧かなかったら、希望だけで生活を送ることができたら、そう思うけど、唯一肯定できるのはあの時間だ。
自粛生活は初めての経験だったけど、あの日々には既視感があって懐かしかった。
例えば、友達が一人もいなかった大学一年生前半
例えば、浪人期間
例えば、就活期間
ラジオを聴いて過ごしたのだから。
* * *
5月19日(24:03)
生活の中心がラジオになって5年くらいが経つ。予備校に通っているときに出会った『バナナムーン』が入り口だった。
だけどもっと遡れば、小学生のころから、車内で父親が流す「宮川勝のパカパカ行進曲!!」「NISSAN あ、安部礼司」「サントリー ・サタデー・ウェンティンが・バー AVANTI」を聴く時間が好きだった。
音楽以上にラジオを聴き始めた僕が、すべての放送を聴いた(最終回を迎えた)番組は『菊地成孔の粋な夜電波』のみ。
2011年4月から2018年12月の約8に渡り放送された長編と言っていい。
だけど、ジャズなど知らない学生が菊地成孔を知り、ふざけたタイトルがギャグとはとれないくらい熟成した、ジャズメンの番組を聴き始め、好きになり、そして番組が打ち切られるまで。その間は一年もなかった。
この番組をずっと聴いていくのだと確信して間もなく、消えてしまうことがわかったその瞬間から、最終回までの間にシーズン16・第396回目までの放送を、ひとつ残らず全て聴いた。実際5ヶ月くらいで聴ききったと思う。
そうさせてしまうくらい、本邦唯一フリースタイルラジオを自称したあの番組は、混迷の現代を生きる現代人の喜怒哀楽に針を落とし、気楽にグルーヴさせる魅力があったのだ。(菊地成孔フリークではないので、あくまで震災直後に放送開始しなければ行けない番組における彼のトーンとマナーだけを享受したリスナーの意見として)
しかし、こんな企画があってこんなトークがあってコントがあって、なんてもとは覚えていない。番組が終わってなお出版され続ける「傑作選」を黙読したり音読したりしたところで、大した意味は見出せない。
あの番組は聴くことがすべてだった。
そして、聴き続けていた時期の俺は、確実にいい調子だった。
それだけが、あの番組を聴くことによって得られたすべてだった。
番組が終わった喪失の最中に就職活動を開始し、コロナのせいで卒業式もないままに大学生活はなんの変哲もなく4年で終わった。
平々凡々なモラトリアムから離陸していこうかというところに、今度は目に見えない何かの侵略をこの星自体が受けている。
広く見ればエンタメが面した危機、もしくは既に大きな喪失状態にある日本で、俺はスーツにネクタイを締める覚悟を一度しまうほかなかった。
学生気分が抜けてないなんて説教されることなんてもちろんないまま、家でラジオ・YouTube・読書三昧、飽きた頃にフラッと出社なんかすると、お前もかわいそうになあなんて気を使われるくらいで。全然参ってなんかないですよ、楽勝ですよ、というかあなた達は何故マスクをしていないんですか?全部言えないままモヤモヤと家に帰る。
時間ができて、普段は目を向けないところに関心がいくまで心が回復するのはいいのだけど、いくら規則正しい食事と夜更かしで健康状態とはいえ「いい調子」なんて程遠い生活に参っていた。
軟禁状態でできる自分の維持なんてたかがしれてる。
入店、入場、入館、入道雲のようにムクムク勝手気ままに街を歩く生活から離れているうちに、確実に衰退していくものに腹を決めないといけない。
食事やライブを愛することは店を愛することで、街を愛することだとフッドはないけど感じ入る。
一方、SNSで接続される全能感に慣れすぎると、全部が全部エラーを起こした外界から、自分のコックピットまで浸食汚染された気になるから注意する必然性はかみしめなくてはならない。
リアルな接触ができないばかりにネットによって直で接続・浸食された世界を、社会の中の"個"という感覚まで押し戻すためにはまず、自分がいい調子にいないといけない。
すっかりさっぱり忘れてしまってもう何飲んでも炭酸か炭酸じゃないかしか見分けられないままアルコールばかり取り続けてしまう毎日は、緊急事態宣言明けのネクタイスーツに叩き起こされてはいけない。
自分をいい調子にするために生活する。
世界を、日常を諦めるなら、あの番組を聴いてからでも遅くはありませんぞ。と脳内のDJがヘラヘラ喋りだした。
* * *
5月20日(23:48)
というわけで、一年半ぶりに、あの番組の力を借りようと思い立った。
好きな番組は何回でも聴ける自負があるが、これまで聴きなおすことは無かった『粋な夜電波』は、テキストに起こしても十二分に価値と効力を発揮する作りになっていながらも、何よりまず(合法/非合法問わず)"聴く"ことがパーソナリティによって推奨される番組だ。
そもそも、放送開始もずれ込んだこの番組には震災からの「復興」というテーマが根底にあった。
いい調子だなんてことを誰も想像さえできなかった9年前、ラジオで番組を始めることをパーソナリティはこう振り返っている。
なので僕は、数秒間の熟考の結果、特別なことは何もしないことにした。今まで通りにすること。軽い躁病持ちで、いつでもウヒャウヒャしていて、ジャズのクールが最高だと思っていて、スケベで、下らなくて、フライドをものの考え方の基礎において、旨い物と美しい響きに欲深くて、人をハイにさせる。クールぶったりヒップぶぅたりしているカッコつけのハンパ者をイライラさせる。グルーヴがすべて。世界はすべて胡散臭い。世界はすべて崇高である。再び、グルーヴがすべて。
菊地成孔 TBSラジオ『菊地成孔の粋な夜電波 シーズン1-5 大震災と歌舞伎町篇』(キノブックス)p.373
もちろん分かっているけど俺はこのタイプの人間ではない。ラジオばっかり聴いてる人間がいつでもウヒャウヒャしていられるわけがないだろう。
ただそれとこれとは関係ない。
世の中がどれだけ大変なことになっても一つだけ確かなことがある、それは俺が1日の最後にかならず夜を迎えるということだ。
だから、これから夜が来るたびに一回ずつ、この番組を初回から聴き直していくことにした。
全て聴くと単純計算で来年の8月頃になるけど、それまでにはいい調子になっているだろうし、むしろ3回聴いただけで超ハッピーになっている可能性も十分に予想できる。
聴く、というだけで特段何か書くというわけではないのだけど、俺はいまオケタニという名前で、アララという団体で活動して、好きなカルチャーについて書いて、それとは別に個人noteで不定期の日記を更新している。
その中のマガジン機能を使うことにする。
noteをアナログのノートとして使ってみせることが、ラジオを聴いていた学生時代の自分が積み重ねてきた行為(5歳の誕生日に叔母から贈られた絵日記ノートが全ての始まりだった)として寸法にあう。
この記事はきっと、これから更新を始めるマガジンを閉めるときに公開することになるだろう。
これから続く日記は、『菊地成孔の粋な夜電波』を聴いて思ったことや感じたことにはならない。あの番組を聴いて、いい調子であろうとした、コロナ禍の自粛生活最中にいた自分の証明である。自分の(世界の)生活という前提が揺らいでいるいま、テキストへの期待は一度横に置いて、耳から送られてくる音楽と与太話に身を任せてこれから毎晩歩くのだ。
今後そういうことはしないつもりだけど、マガジンを始めるにあたり『菊地成孔の粋な夜電波』最初の放送、最後の曲を紹介する前の言葉を書き起こしておく。
(繰り返しになるが、この番組の放送開始が決定されてから東日本大震災が起きた。そして、当初は1クール限定として予定されたはずが、好聴取率を大きな追い風に結果8年も続くことになるのだが、24回放送された第1シーズン(2011年4月から10月)の間、日本は東北を中心とした大きな喪失に覆われていた。喪失を治癒できるのは音楽と面白い話だけだと信じるジャズメンによる半年限定番組は、そのトーンを全うすることになった。)
私まず自分で実験しようと思ったのが、何を美味しく感じるかってことなんですよ笑
(中略)なんででしょう、未だによくわかんないんです。チンザノありますよね、チンザノロッソ。それにちょっとライム絞って入れたのがあの日以来一番美味しんですよ。体にビュンビュン…こんなにうまかったっけチンザノ?って感じで。
なんかその、なんかあったら必ずなんかが美味しくなったり、なんかが見らんなくなっちゃったり、なんかが食べらんなくなっちゃったりすることもあるかもしれないですけど、あの、それで落ち込んでもうダメだダメだって言ってたらキリがないですからね。
代わりにどっかでなんかが美味しくなってますから。そういうの実験してみるといいと思いますよ。私、チンザノが良かったんで。私と同じ精神状態や体力の方にらおすすめです。
そんなときにこのアントニオ、チンザノ飲みながら、メンデスなんかいいですね。
(プレイされたのはホセ・アントニオメンデス『LA GLORIA ERES TU (至福なる君)』)
それでは、この記事が投稿される日まで。
おやすみなさい。
***
上記した『菊地成孔の粋な夜電波』を聴いて過ごした毎日の日記をまとめたマガジンを作りました。