6/27~7/3
日曜日
37度代から熱が下がらない。
これからどんな生き方をしようかなと考えたとき、まずここ数ヶ月は物語のことを忘れて過ごしていて、それは多分MCUのドラマシリーズが再開したことと関係あるのかもしれない、でも物語を奪うなんてこと考えられないなと文芸誌編集長のインタビューを読んで思った。物語はきっともっと大きい。
岸政彦がいま作っている「東京の生活史」を読んだら余計にそう思うのかもしれない。
何をしていたか思い出せない。自分にとってのお笑いがスポーツ観戦に近い気持ちになって、その瞬間の興奮やテンションは甘美だけど、深く心に沁みつく何かではないんだな、 と思う。物語だ物語。
月曜日
午前中にかかりつけで診察を受けて薬をもらう。
今日は月見ルのパラシュートセッション「村上”PONTA”秀一追悼企画 松下マサナオSession × 石若駿 Session」のチケットを買っていて、それぞれのセッションメンバーがCRCK/LCKSとZA FEEDOでとっても楽しみにしていた。
だから、いけないのがとても悔しいし、追悼企画に行くほどポンタさんのステージを見たこともないのだけど、出演する人たちと、パラシュートセッションは大切なものだったから、やっぱり悔しかった。
熱があるとダラダラスマホを見ることしかできなくて、辛うじて本を読んだ。金原ひとみ「アンソーシャル ディスタンス」は2020年を代表する傑作だと思う。これが初掲載されたのは『新潮』20年6月号で、表紙に乗った題名を見たときに味わった解放感は特別なものだった。表題作を読んでいるとなんだか思い出された岡田利規『3月の五日間』を聴きながら就寝。俺が味わっているこの何日間のことも、「~~だったんですけど」と振り返ることがあるものなのか。コロナが流行ってた時期だったんですけど、そんななか発熱しちゃったんですけど、すごい怖い中寝るしかできなかったんですけど、そんなときに物語って素晴らしいなあなんて気づいちゃって。
火星人が勉強部屋のことを説明する場面がやっぱりウルっときてしまう。
火曜日
少し熱が収まったので出社。身体が動く、それだけで嬉しい。耳はまだ聞こえる。心を埋めるために言葉を重ねる。
昨日TohjiがKUUGAから一曲MVをリリースしていて、それがあまりにもイカしてたから今日は俺も平気。相対性理論を久しぶりに聴きながら歩いた。
思ったより普通に働けてよかった。帰りにかもめブックスで『日常的実践のポエティーク』と『九龍ジェネリックロマンス』5巻を買う。買い進めている漫画の新刊に気づくというのは、なんだか嬉しいことだ。楽しみすぎると発売情報を追いかけてしまうし、興味が薄くなり始めていると、発売に気づいても一度放置してしまう。『九龍』は是妙な塩梅の作品になっている。
帰りしなに大雨が降り始めてしまい、いつもと違う最寄駅からバスに乗った。せっかくバスに乗ったのに、ずっとスマホを触ってしまった、イヤホンもしていた。もったいないことをしていると気づいたときには家に着いていた。
『日常的実践のポエティーク』買ったきっかけはこれ。
でもしたいのは批評ではないんだ。オリジナリティなき創造なんだ。そう考えたから?
水曜日
Momがもう次のアルバムをリリースするらしい。先行配信曲がとてもよくて、自分も作詞とかしたいなと思う。スノードームが最近頭から離れない。MARVEL的なマルチユニバースの考え以上に、自分がいる地球と銀河はすべて、どこかアメリカ風の暖炉とロッキングチェアのある部屋で、ポップコーンが入ったボウルの横に置かれているスノードームの中にある世界なんじゃないかって、たまに思う。
『ODD TAXI』最終話を見た。なるほど、辻褄が合う。だがその途端、あのドラマを見た目のキュートな動物じゃなく普通の人間で描いたらとても最後まで見れたもんじゃなかったなとも思う。そうすると自然と比較がデュラになるけど、登場人物の業がなさすぎて、あっさりしすぎているなとも思う。
島田潤一郎が何かのフリーペーパーに書いたらしい文章。
死ぬまでに、名作と呼ばれている作品をできるだけ読んでおきたい、というのはある。でもそれよりも、長い小説を読むことで、現実に流れるあわただしい時間から逃れたいのだ。もっといえば、ぼくが忌み嫌うこの現実を、すばらしい作家の言葉で、なんとか相対化したいのだ。
人生は、社会は、ぼくが思っているよりもっとすばらしく、豊かなものだ。そう信じたいために、今晩もまた、昨日の続きを読む。
個人の世界を、精神衛生を守る。図書館に逃げ込む、みたいなことだ。発表されて長い時間が経ったものであれば、作品に込められたメタ的な願いから遠ざかれるから、ここは確かに名作の方がいいかもしれない。でも。それってとても寂しいことのような気がしてならない。
刹那的な快楽を寂しいものだと、悟ったような顔で歩く帰り道が恋しいのだ。世界が、というよりも、自分が見通せるこの国がいい方向に、豊かな思想の土壌になっているだなんて、生まれて一度だって考えたいことがない。
↑これがどっちの言葉か分からない。変な改行したせい。
『LOKI』4話
ロキがヒーローになってしまいそうでモヤっとしていたけど、最後のシーンを見るからに、あれは「ロキ」への自己愛みたいなものかもしれない。ロキは狡猾に支配したいヴィランで居続けてほしいので、日本版広告「嘘つきは、泥棒ヒーローの始まり。」にモヤモヤっとする。そもそも現地ではそんなキャッチ書いてないだろうし。『日常的実践のポエティーク』面白い面白い。さることながら、語彙や言い回しへの興奮も引き出される文章。かなり時間が要るペースだけど、早く続きを読みたいと思いながら寝た。
もっとこう、テーマを抽出することに敏感になりたい『さいごのゆうれい』を読んだ時も思ったけど、もう少し抽象的な視点で物語をとらえることもできるようになりたいというか、例えばあの作品は何と何を掛け算したんだろうか、みたいなことを覚えておかないと、読んだことを何も覚えていられなくなってしまう。
自分がいたサークルが3年ぶりにサークル名を冠したイベントを開催すると音楽ナタリーで流れてきた。3年前は自分たちが開催したもので、その間の期間は、学際の規模変動とコロナだ、意志はまだ続いているのかと分かるだけで嬉しい。会場規模と、フライヤーなどのビジュアルが無いことなどからして、どれくらいの人がかかわっているのかは気になる。3年前のイベントを思い出すとなんともいえない気持ち。
木曜日
『あちこちオードリー』星野源ゲスト回を見ながら出社。かなりの数ラジオを聞かなくなって二週間くらい経つ(Creepy、佐久間、フワちゃん、ぺこぱ、ここオズ、デドコロ)から、朝からTVerを消化して、夜は読書できるようになるはず。
記憶は道に沁みついている。結婚の話題というか、結婚を含む話題、を最後に差し込む若林。春日の結婚のときも話していた、朝食の話だ。それまでは悩み事って夜空に溶けるか、シャワーで流すかしかない、という言葉が自分事になるのは、もう少し先になるのかしら。
この日の収録を振り返った文章。
昨日の気持ちを引きずって、3年前のイベント近辺のTwitterやブログを読んで、いてもたっても状態になり、とりあえずヒグチアイのオンラインサロンに入会した。この人と、もうひと仕事したいなと欲が出てきた。前回が2018年だから、2023年くらいにはしたいな。
17時を過ぎたあたりから頭痛が始まり、それは結局寝るまで治らなかった。
ユリイカのココ・シャネル特集でも買うかと、かもめブックスに寄り道したけど、特集スペースで『「利他」とは何か』、「あお、しろ、透明。夏の色。」特集棚で、吉本ばなな『海のふた』、今の気分にぴったりに思えた『エクリヲ13』で鞄を重くして帰った。今日はスマホを弄らないままバスに乗れた。スリムクラブのネタが頭から離れないから、毎回「バスっていいよなあ、なんか落ち着く」と声に出してから席に座りたくなる。
体も暑いし頭痛も引かないので、半ばやけになってセブンへ駈け込んで缶ビールをほとんど一気に飲んだ、頭痛が増した。今日は『エクリヲ』の方を優先したくて、第一特集「鬱の時代へ」を充実感たっぷりに読んだ。柴さんの手際のよい整理術も、横山宏介さんのジャンプ作品についての文章も面白い。
金曜日
朝から容赦なく雨が続いている、梅雨明けは19日と何かで見た、頭が相変わらず痛くて、若林ってこんな大変な思いをしていたのかと気が滅入る。耳で「ラジオ母ちゃん」の二人がダラダラと楽しそうに会話していることだけが、長靴でもない足元のアスファルトを後ろに押しやる。手帳を見ながら、テアトロコント、排気口、明日のアーなんかのチケットを取り進めているうちにお昼になって、「アセトアミノフェン品切れ中!」という張り紙のついた薬局の扉を入ってバファリンを買った、たっぷり40錠。効果がないと、帰りに映画を見る予定も立てられない。
『ODD TAXI』のモヤつきについて何か書けないだろうかと考えていたのだけど、高島鈴さんの『BEASTERS』論を読んで吹き飛ばされた。
言葉で吹き飛ばされる感覚への欲求が、雨の季節になってから強まっている。
土曜日
15時くらいまで布団から出ずにもけもけしていた。『ODDTAXI』のオーディオドラマを聴いたり、霜降りチューブを見て久々に麻雀アプリをダウンロードしたり。
寝る瞬間まで、起きた瞬間から頭痛がやってきたせいで、何かを書くとか読むとかの気持ちに全くなれない。ともあれ明日の方が低気圧がひどいらしいので、区役所へ都議選の投票に行っておく。試験終わりの午後に教室でアイスを食べながらダラダラするご褒美時間のようなものを大人が味わえるとたら投票帰りの時間なのではと思い、電車で赤羽まで行ってビールを飲むことにする。そこまで酔っぱらいたい気持ではなかったのだけど、美味しいという一点において、様々な黄色の色味を交互にするすると、5杯くらい飲んでしまった。
村上春樹『ドライブ・マイ・カー』を読みつつ。僅か80ページの短編を滝口竜介はどんな映画にするのだろう。しかし帯にまかれた実写映画の広告画像に映る車が赤いのだけど(原作では黄色)、骨組みが残っただけの別物になるのか。良い気持ちになって、いろいろな友達に電話して、その中の一人に会いに行って、そこからロロを見終えた先輩がいる中野へ、終電までの数十分だけ会いに行ったりした。
頭痛はずっと意識のなかにあって、寄せては返すアルコールの麻酔と笑い声によって左右される血流の影響でなんだか不思議な気分だった。1週間ぶりに酔っぱらった。こんなに酒を飲んで、移動して、久しぶりに不思議な夜だった。