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〔ショートショート〕喫茶店にスプーンは必要かな

 コーヒーゼリーの上からかけた白い生クリームソースが、スプーンの後を追って行く。「苦いのが美味しいね」なんて格好をつけたところで、本当はシロップ入りの生クリームがあるから好きなんだと、後悔した。僕は今日、初めて彼女を尾行した。

 仕事だと思っていたが平日が、急に暦通り以上の連休が取れることになった。付き合って半年の彼女と旅行にでもと思ったが、彼女の方は仕事らしい。だから、僕は以前から気になっていた喫茶店に行くことにした。
 家からはすこし離れた街にある喫茶店で、「喫茶店 読書」と検索したら出てきた、外観と店内の画像で気に入った店だ。コーヒーゼリーが美味しいらしい。仕方なくというか、気持ちを切り替えてという方が正しいだろう。昨日の「ごめんね」と、残念そうに眉を下げている彼女の顔を思い出す。そのときの僕は、それほど気に病むことも無く「そっか、夏にはどこか一緒にいきたいね」と言った気がする。あまりはっきり覚えていない。
 喫茶店に入ると、珈琲のいい香りがする。店内は明るく、綺麗だ。大きなガラスが透き通り、晴れた空の色がそのまま店内の解放感を感じさせていた。こじんまりしたレトロな喫茶店ではなく、今風の装飾だが決して落ち着かないわけではなく、各テーブルの間隔が広いおかげで一人でも気にならなかった。席数も多い。
 ブレンドコーヒーを頼んでから、「コーヒーゼリーが人気なんですよね?」とウェイトレスに聞く。
「はい、美味しいですよ」と、微笑んだ。
「じゃあ、1つお願いします」と言って、メニューを返した。

 少ししてから、さっきと同じウェイトレスが珈琲と水を持ってきた。
 そのとき僕は、コーヒーゼリーを頼むタイミングは難しいなと考えていた。喫茶店で食事をすることはあるし、焼き菓子やアイスやケーキなんかはいつでも気にせずに注文できるし食べればいい。しかし、コーヒーゼリーはどうだろうか、コーヒーを飲みながら食べるのが正解なのだろうかと。そんなことを思いながら、積読してあった本の中から持ってきた一冊をカバンから取り出し、読み始めた。新書の厚みのある表紙と、話し声とコーヒーカップとテーブルが出す雑音が、日常を隔てるパーテーションになった。
 身体が、楽な猫背になる。
 指が紙をつまみ、擦れる音。
 ーーコーヒーカップから唇が離れる。
 ふと、ガラス越しに向かいの通りが目線の先に入った。そこに立つ、女性の後ろ姿に見覚えを感じる。自然と、手にした本の表紙は閉じていた。
 店内には、パガニーニが演奏するバイオリンの音が流れていた。

 別に彼女を問い詰めることはしたくなかった。たぶん、しなかったと思う。
 僕の知らない男性と歩く彼女を街で見つけ、ちょっとだけ後を追った。そのことを後日、正直に話し、彼女に聞いてみた。追いつくところまでは勇気が出なかったことを隠して。
「しょうがないなぁ」と、また眉を下げて彼女は残念そうな顔をした。
 僕の誕生日のサプライズパーティーを計画していたそうだ。「あの人は」と、彼女は続けた。パーティープランナーの男性だったらしい。最近は、SNSで簡単にそういった企画や準備を手伝ってもらうプランナーを探せるらしい。そういうことに疎い僕にはよく分からなかったけど、「そっか」と笑って見せた。
 
 あの日、注文したコーヒーゼリーがいつ運ばれてきたのか覚えていないけど、2か月後、ぼくの誕生日パーティーが行われた。
 予定通りに開かれたサプライズパーティーで、スプーンは丸く笑う。コーヒーゼリーを掬ったあとを白く隠して。

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雨音ムッツ
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