性同一性障害 母の思い…ホルモン注射は待ってほしい(母へのカミングアウト~理解まで3)
こんばんは、縁(エン)と言います。
簡単な自己紹介👇
僕は性同一性障害(現在は性別違和)を抱えて生きてきました。
現在は既に戸籍変更を終え、生活や仕事は、完全に男として生きています。
僕は現在一人で社長業をしていますが、完全に埋没して生活をしています。
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現在は、FTM向けのCHANGEというサイトで主に手術情報を公開していますので、是非ご覧ください!
今日は、前回の続きから書いてみようと思います。
前回、「1年待った後のホルモン療法について」・・・の続きです。
1年待ったところで、母親に「もう1年待ちました。僕の気持ちは性同一性障害の診断が出てからも変わらず、戸籍変更をしたい為、ホルモン注射を行います」と。
母親は泣きながら、あと4年待ってと。。言っていましたが、
もうこの時点で21歳。この時点でカミングアウトしてから5年以上経過していました。もう待てないと。待ったところで、何も変わらない。
理解できないというよりも、母親は僕が体を変えることが心配。この気持ちは一生あるものだから、何年待ってもホルモン注射に賛成にはならないと。
母親には、「もう待てません」と伝え、その次月くらいに大学病院にてホルモン注射を開始しました。
注射を打ちだし、久しぶりに実家に帰ると、
「もう男の子の声だね。」と残念そうに母親はしていました。
僕も母親の性格をある程度把握していたので、とりあえず何を言っても親は親で葛藤があるし、僕がしっかりと仕事をして、僕自身の人生がしっかりと運ぶことが第一にしないといけないことと。親の気持ちを強制的に理解しろ!ということはしませんでした。
ホルモン注射を始めた頃、北海道に妹と母親と旅行へ行きました。
その時、バスツアーだったのですが、僕は完全に男性とパスしていました。
それを見て母親は「もう男の子に見えるんだね」と残念そうに母親はしていました。
この時には、僕は頑張って次の治療についての準備を続けていました、母親には手術の事はまだまだ伝えていませんでした。
ずっと母親は誰にも相談できずに僕のことを抱えていましたが、この頃親戚間で色々とあり、親戚のおばさんに僕が性同一性障害であること、そして治療を始めたことを伝えたようです。
そのおばさんは、母親が僕の事で相談があるといったら、すぐに病名まで勘づいていたようで、やっぱりねという反応だったようです。
昔から男の子だなって思っていたからと。
そして、その親戚の方に、「最初から男の子が生まれていたと思って、育てればいいじゃない、大丈夫だよ」と言われたようです。
この頃から、また母親と笑って話せるように徐々になっていたと思います。
母親は、母親として、僕のことで本当に一人悩み苦しんでいたと思います。
自分の人生で考えもしなかった出来事、そんな道を僕が歩くことを、僕以上に恐れ、怖がり、不安になっていたんだと思います。
そこで、僕が出来ることは、一生懸命、明るく生きること。
男性で生きる事が幸せである、当たり前としての幸せなのだ。と見せて行くこと。
本当にこれに尽きるなと、思います。
ホルモン注射から2年程たち、徐々に徐々に、母親も腹をくくってくれるようになっていました。
でもずっと近所の目があるから実家には近寄らないでってよく言われましたけどね(笑)
とりあえず今日はここまでにします。
次回は、次の治療である胸オペについて話したいと思います。
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