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日記|初日記と”わたし遺し”
はじめまして。ネコぐらしと申します。
猫と2匹暮らしをしている、しがない人間です。
最近、著名人のトーク動画が自分の中で大ブーム。
特にお世話になっているのが「ochiai weekly」。
デジタルアーティストとして有名な落合陽一さんがバラエティに富んだゲストとひたすら対談していくといった内容です。
多くの動画を見ていく中で、落合さんが口酸っぱく発していたセリフがあった。
【好奇心を持つこと】
生成AIが発達した世の中に変わっていく中で、確かな資本や財産は少しずつ意味合いを失っていく。
キャリアや経験といったものは、万物の情報を数分で集めてくるAIの前ではどうなってしまうのか。
人間の作業や仕事は、圧倒的な効率を誇るAIのオペレーションを黙々とこなすなにかに置き換わっていく。
そんな想像がいくらでもできてしまう対談が数多く展開されていました。
その中で人間に対抗できうることがあるとすれば、ひたすらの好奇心。
そこからの奇想天外な発想こそに活路があるとかなんとか。
【誰もが取り組んでいる普遍的なことに、おもしろさはなくなっていく。】
これもそう。
流行に乗ることはビジネスパーソンにとって最重要課題であるかもしれないが、それが面白いのはお金という報酬に直結するから。
ではお金が好きじゃない人にとって、流行とはなんだろうか。
人とつながるための口実かな。
変わり者にならないための情報武装かな。
少なくとも、私には流行はそれ単体で扱いに困るものです。
自分にとって今の流行とは、今の自分が興味を持った過去のコンテンツが大半であると気付きます。
漫画、映画、小説、動画、本、誰かの生きた記録。
どれもネットの海に大量に数を残されていて、どこからでも簡単にアクセスすることができる。
月額のサブスクライブ料金を支払っていれば、大抵自分のアンテナに引っ掛けるだけ、見れてしまう。
そしてその数はあまりに膨大で、自分の生涯をかけたって網羅できるものではない。
だからこそ「今」にかける時間は限られているかもしれないって私は感じてしまう。
過去に固執してるわけではないのです。
自然と視点が過去に向いてしまう。
もちろん現代の流行に興味がないわけじゃなくって、楽しくミーハーさせてもらってるコンテンツも山のようにあります。
それでも過去と比較してしまう。
過去はあまりにも巨大で楽しいことだらけなのです。
私がこれから書くブログは、そんな「過去」に興味をもった「今」の私について綴っていくような内容になっていくと思う。
実のところ、これが誰かの目に触れることを、そこまで考えていません。
どちらかといえば、私が私の「過去」を振り返るとき用かもしれません。
自分の人生について、一目で分かる便利なものがあればな~くらいの書置きです。
著作物、肉声、写真があれば、AIがほんの刹那の間に学習し尽くして、本人を模倣することができる。
まるでシャーマンキングのイタコのような、漫画だけのフィクションをすっかり脱してしまったように感じます。
であれば、生前の自分を未来に送り届けたくなるってのもアリガチな話かもしれません。
遺し方は人それぞれのやり方あるだろうけど、私はどうしようかな、日々の勉強の報告がてらnoteにまとめてみようかな。
今の私は本当に心の底から無知で、あまりにも「無知の無知(知らないことを知らない)」の領域が広すぎる。
そして知ることだけじゃなく、しっかり知見を持った上で文章にしたためることが、自分自身の思考につながる気がする。
考える時間だけはしっかり確保したいのです。
ということでわたしの名前の末尾に(故)がつくまでに、しっかり私という人格をこのnote上に残したい所存!
三日坊主にならないことを祈って!