カジュアルとアイロンの距離感
以前何かの本で読んだ。
夏のあいだ毎回、着るたびにTシャツをクリーニングに出して、
しわひとつなく整ったものを着ているという女性の話。
ただのカジュアルで終わらせないために、上等なTシャツを求め、
手入れをお願いしつつ、常にきちんと乱れのないものを着るのだそうだ。
大人とTシャツの、素敵な付き合い方だと思った。
この話、いつどこで読んだのだか、すっかり忘れてしまったのだけど。
その夏、とても素敵なTシャツを見つけたのに、
値段が高くて買えなかった10代のわたし
それとその素敵な大人のイメージが、対照的に結びついて
ときどきふと、買えなかったあのTシャツの映像といっしょに甦る。
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思えばそもそも、カジュアルというものが
あまり得意ではなかったかもしれない。
それは恵まれた体型や個性を持った人にしか許されない、
ある種の特権のようなものだと考えていた。
なのに一見、誰でもできるみたいな顔をしてるから
その分だけたちが悪い、とさえ思っていた。
それでもやっぱり、飾らないでいたい日もあるから
Tシャツという存在と、どう折り合いをつけてくれようか。
そんなことを思いめぐらしていたときに、ひらめいた。
そうだ、Tシャツにアイロンをかけてみよう。
クリーニングに毎回だすのは難しくても、アイロンならすぐにできる。
カジュアルなTシャツにはアイロンがけは不要
なんとなく、そんな気持ちでいたけれど、
きちんと着てみる。そのためにやってみる。
ならば、あれを着てみよう。
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それは前からみるとただの白いTシャツだけど、後ろからみると背中が大きく開いていて、
両肩には長くて黒いリボン、
背中の真ん中でそれを結ぶようになっている。
ゆっくりと、その表面に、アイロンの蒸気をあてていく。
熱した面ですっとなぞれば、ほんのすこしの乱れもなく、
礼儀正しくぱりっとなって。
リボンの先まで端正な姿だ。
もう買ってから数年が経つけど、
まるでお店に並んでいたときみたいに、おすまし顔で居る。
なんだかお化粧をしてもらった女の子みたい。
熱が冷めたのを見計らって袖をとおせば、
その折り目正しさが心地いい。
控えめだけど、ぴんと背筋の伸びた感じ。
なんとなく、昭和の映画にでてきた女性たちを思い出す。
わたしのカジュアルは、多分ここにあるんだ。
洗いざらしの似合う人にも、憧れることはあるけれど。
ちょうど良い距離感をようやく、見つけたのかもしれない。
そんなことが浮かんだりも、した。
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Tシャツとデニム。
大人になって、その着こなしに一本、筋を通したくなる。
そんなとき、礼儀正しくアイロンがけされたTシャツは、抜群の心地よさをもたらしてくれた。
きちんと、乱れのないものを着る。
それはカジュアルとの上手な関係。
積み上げてきた丁寧さや、自分のなかの規則正しさを感じながら、
心安く、気楽にいられることの幸せ。
昔読んだ本の彼女も、そんなこと、感じていたのだろうか。
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