五月雨に唇
雨だ。きた。
そう思ってわたしはブランケットを跳ね上げる。
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湿気が苦手なので、この梅雨時期はいつも鬱陶しい気持ちになるのだけれど、
今回ばかりは、ちょっと、雨の日を待ちわびていたのだ。
なぜかというと、去年の冬に買った口紅を、この雨の日につけたらどうだろうと思い立ったから。
それは濃いベリーの色をした口紅で、
多分、ちょっと唇の輪郭より小さめにつけるのが可愛い。
去年の流行りだったのか、つやがあまり出ないように仕上げられていて、
和服にも似合いそう。
木べらでよく煮詰めた、果実のジャムの色。
冬は、シックなトーンのコーディネートに合わせてよく遊んでいた。
もしくは、総柄のワンピースに負けないように組み合わせたり。
でも春先になると、出番はやっぱりコーラルピンクにとって代わられて、
それからお化粧箱の中でよく眠るようになった。
朝、化粧するたびにその口紅がちらと視界に映り込んで
わたしは少しだけ気にしていたのだ。最近遊ばなくなってしまった友達みたいに。
それで、この間のどんよりした雨の日に外を見ていて、ふと思いついた。
この灰色づいた世界に、あのベリーの口紅で出かけたらどう?
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合わせるのはデニムだ。それにいかにもな、ボートネックのボーダーの長袖。色は紺色と白。
カーキ色の幅広リボンを、スカーフ代わりに首に巻いて。
足元はヒール、といきたいところだけど、いかんせん雨だから、やっぱりフラットのヤツにしよう。ZARAで買った、濡れてもいい、金色の。
髪は鬱陶しいからポニーテールで、
それで仕上げに、あの口紅をつけよう。
それでデートの前の女の子みたいに、部屋でその格好をしてみる。
うん、大丈夫。思ったとおり。
熟れたクランベリーみたいな色のおかげで、顔色はぱっと明るくなって、
雨の日どうせ、傘をさすんだから、ちょっとこのくらいドラマチックでもいいねって思えた。
それ以来、わたしは雨の来る日を待ちわびて。
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ようやくその日がきたのが、今日。
勇んだわたしは練習どおりに服を着て、化粧をして、ドアを開ける。
五月雨の中、あざやかな唇が浮かび上がる。
傘に隠れて、きっと顔はよく見えない。
ちょっとだけ、どきどきしている。作り込みすぎただろうか。
けど、それでいい。雨は一人遊び。わたし。
ひとり五月雨に唇、彩っている。