景色はいつも君のために
きっと、街には街の色があって、
場所には場所の色があって、
背景、について十分想いを馳せることができたらおのずから、
その中で一等素敵に自分を彩ってあげることも、できるはずだと思う。
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メトロの中でひとり立ってる、彼女は漆黒のワイドパンツに真っ白なジョーゼットのノースリーブ。
顎のラインですぱんと切り揃えられた、重たいボブの黒髪が蛍光灯に照らされて光ってた。
人の少ない夜の電車の、すこし緑がかったライトとその服を着た彼女は、
妖しくて、静かで、人工的で、ひんやりとして、
暗い水中でぎらりと光る、東京の鱗みたいだった。
見知った人に出会うそのときまで、他人と他人がすれ違い続ける、気楽で孤独な東京。
ごおごおと電車は行く。彼女は吊り革を使わずに立つ。
あるいは早朝、コンクリートの目抜通りの、その真ん中を自転車で走り抜けていった彼女。後ろにすこしスリットが入った、光沢のない黒のワンピースを着ていた。
地面は灰色、彼女の両側には白線、その横に並木道。そして隙間なく立ち並ぶ、高さや大きさの不揃いな家々。
夏のせい、どこもかしこもハレーションで白っぽくなり、
遠近法のお手本みたいな景色の中を、立ち漕ぎの彼女がみるみる遠ざかっていく。ポニーテールが左右に揺れて。
あれはモノクロの無声映画みたいだった。
こういう人たちに出会うとき、東京にはモノクロームが本当によく似合う、とわたしはつくづく思う。
パリでも黒を着ている人はすごく多かったけど、
東京の街中のすずやかなモノトーンは、わたしにはとても素敵に見える。
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灰色のセーターの似合う国や、カラフルな服が映える海辺の街、
マホガニーのような赤茶色が調和する煉瓦づくりの家とか、
いままで通り抜けてきた場所にはそれぞれ、なんだかいつもより素敵に見える色があった。
もちろんどんな色を着るのも自由だ。どんな色だって着られる。
けど場所には場所の景色や色があって、それを背景として使いこなすことができたなら、
映画かアート写真かと思うほど、美しく人が彩られる瞬間がきっとある。
きっと街に限らないんだろう。その日、行く場所のことをまずはよく思い出してみるんだ。
どんな背景?どんな色がある?どんな光が照らしてくれるだろう。
それらが素敵なセットだったとして、
その中で自分はどんな服を着ているか考えて。
溶け込んでみるか、思い切り浮き上がってみるか。
どんな服を選ぶも自分次第。
そこにあなただけの、感性が現れるはず。