ソニックブルーのスーパーカー
人は、見続けたもののようになってしまうのかもしれない。
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今日は、ある人の話をしよう。
その人は、綺麗で整った顔をした人で、
なによりこちらを見透かすような瞳が印象的だった。
子どもの頃、自分で組み立てる玩具をとても上手につくっては、
それを壊してみるのが好きだったという。
完璧だった玩具の車にタイヤがなくなり、エンジンが潰れ、
それでも動こうとする様をじっと眺めていたのだという。
壊れながら進むその様に、なにかとても心を動かされたのだという。
その人は大人になって、そして消えてしまった。
いろいろな憶測が飛び交った。
わたしはそれらに手を染めたくはなかった。
あれから何年経ったのか、口には出さないけど正確にわたしは憶えている。ずっと憶え続けている。
それで、どういうきっかけか全く偶然なことだけど、
わたしは消える前のその人の、動く姿を今年の夏に見た。
若いままのその人の様子はさながら、
壊れながら疾走するスーパーカー
どう見ても壊れていた。押しつぶされていた。
踏み外してしまいそうと人が思う頃には、もう踏み外れていたんだと思う。
でもそれは同時に美しさの極致とも言えそうな光景で、
もうやめてあげてと思うのと同じくらい、
ずっと見ていたいと思ってわたしはその自分勝手に泣いてしまう。
車体が潰れて半分に割れた、ソニックブルーのスーパーカー
その人は、最後は自分が見続けてきたものになってしまったのだと思った。
とても悲しかった。
きっと、あれを綺麗だと思い、あれに見惚れた自分も、その人を遠くから追い詰めたひとりだったのだと思う。
美しいものには逆らえない、それはよく分かっている。
けど逆らわないといけないときだって、あるのだと今は知っている。
うつくしいひとよ、どこにいるの
お誕生日、おめでとう
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