重心と靴底のポルカ
美しい音のする靴を買って、靴は自分と共鳴する楽器だと知った。
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わたしの美しい友人たち。魔性の彼女も可憐な彼女も、このところ口を揃えて語るのは
”足音”に宿るもの、について。
それでよくよく思い出してみたならば、みんなそれぞれ笑ってしまうくらい、その人らしい音で歩いているのだ。
真黒の長い髪をもった魔性の彼女は、とくっとくっと丸い音をたてて歩く。
栗色の靴底が機嫌よく、彼女のリズムに合わせてまっすぐ石畳に鳴る。
睫毛の一本ずつが濡れてるみたいに可憐な彼女は、ことんことんと気まぐれな音をたてる。
あれも素敵、これも綺麗ね、そう言ってるみたいにあちこち響かせながら。
ふたりとも違う足音をしているけれど、そろって言うのは同じこと。
”足音は、その人のエレガンス・セクシュアリティ・品性…なにもかもを想像させてしまうの”
だからその人なりに最高の、誇り高い足音をしている人は内側までも美しいのだと。
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わたしはと言えば、ハイヒールのたてるほとんど神経質なまでの細い音が好きだ。
長くて冷たい通路に反響する、壊れそうに張り詰めた音が、尖った神経にはむしろ心地よく聴こえて。
それでも最近もうすこし、優しい音で歩きたいなどと思い、
やわらかそうなオリーブ色の、本来踊るために使われる靴を買ってみた。
硬度の高い木材でできたそのヒールは、一等素敵な音がするそうだ。
その靴を履いて、100メートル走を思いださせる、長い長い廊下の端から歩き出す。
ためしに疲れた感じで歩いてみれば、
ヒールは共鳴して低く重たい足音をたてて
そこから鍵盤を一つずつ叩くように、重心を足の先からずらしていくと、
膝から腰、胸から肩、そして頭のてっぺんまで、
まるで歌うみたいにはっきりと、音色はひとつずつ高く軽やかになっていく。
機敏で洗練された2拍子に乗って、しなやかな身のこなしで歩いていけば、
なんだか、まるで自分が楽器にでもなったみたい。
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足音がその人をあらわしてしまうなんて、考えようによっては恐ろしいことだ。
けれども反対に、自分という楽器を美しく鳴らそうとしていれば、
いつしかその重心は美しい身体をつくり、
その音は耳から染み込んで内側を柔らかく満たし、
そのほんの少しの細やかさが、その人の個性を磨き上げていくということも、またあるのかもしれない。
靴はわたしと共鳴する楽器だ。
次に靴を買うときが来たら、形や履き心地のほかにもうひとつ、綺麗な音を鳴らせるかどうかも基準に加えよう。そう思った。
そして靴底とわたしの保つ重心で、
軽快なポルカでも奏でようじゃないか。