見出し画像

審美眼の必要

この国に良いものを、残していかなくてはならない。

このところ、ひしと感じること。


**

数年前、好きだった洋服のブランドが日本撤退した。

そのあと、ある航空会社が日本便のラストフライトをした。

そして今年のはじめ、信頼していた靴の代理店が、日本からなくなった。


いろんなものが、ひっそりと、この国から姿を消している。


良いものが必ずしも残るわけではないことは、分かっている。

それでも、自分の美しいと感じたものが手に取れなくなるのは、悲しい。



なぜ、素敵なものばかり無くなってしまうのだろうと

ときに、考えてもみる。



きっとそれらは手がかかりすぎる。

たくさん作ることができない。

だから、値段も必然的に、上がる。

それに見合う価値を伝えきれず、また、見出しきれない。

そういうこと。



…そういうこと?

それで済ませて、いいことなんだろうか。



**

国内・国外にはまだ大勢の、素晴らしい作り手たちがいるから

これもある種の入れ替わりだと思えばまだ、十分に希望は持てるけれど。


でもどうかな。



もし、あの手の込んだ洋服に代わるのが、1年経てば終わってしまうような、

取っ替え引っ替え、買っては捨てるような服だったら。


もしあの飛行機の代わりに飛ぶのが、安さだけを基準にほかの諸々を排除したような機体なら。


もしあの美しく機能的な靴に代わるのが、形だけを真似た硬い皮のハイヒールになるのなら。



確かにそれも、大切な選択肢。

判断力、洞察力。それらを駆使して、上手に付き合えばね。


でも、これだけしかない世界。これがスタンダートな世界、だとしたら?



わたしはそれを考えると、恐ろしく思う。



そんなふうになってしまったら

わたしたちはどんどん、美しいものを見る眼を曇らせて

それを見抜けるだけの目は、次第に数を減らして

誰かの仕業に対する敬意も、いつしか薄れてしまうのではないだろうか。


そしたら最後に残るのは、一体、なんなんだ。

そんなの、ただの荒野じゃないか。


そこに、何があるというのだろう。




**

これは私だけの感覚じゃなくて、

わたしの敬愛する人々もやはり、皮膚のどこかで感じているみたい。

それにつかの間、心が安らぐような気がしたけれど。



でもこれは絶対に、憂うべき事態だ。



だからわたしは働き、学び、見る眼を養い、

つくり手に敬意を表し、

価値あるものに、価値を見出していたい。

その必要を、今まで以上に感じてる。


自分のために、そして愛する人のために、

この国にいいものを残していくために、審美眼を磨く。



すべての美しきものに、礼を尽くせ。


いいなと思ったら応援しよう!