香りを秘して
なんの香水ですか?
そう聞かれたときに、一体どうすれば答えることができるのだろう。香りの正体は、暴かないのがいちばん美しいのに。
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少し前に友人と、ちょっとした打ち上げを兼ねて小さな可愛いホテルに泊まった。
翌朝起きて、ふたりとも、身繕いの最後にとりだしたのは香水瓶。そういうところ、やっぱり友人よねと、なんだか微笑ましくたのしい気分になる。
彼女からはいつも、大人っぽい香りがしていた。甘さはあんまりなくて、けむるようにエキゾチックな。
わたしよりすこし年下だけど、色が黒くて、はっきりした顔立ちの美しい彼女に、その神秘的な香りはぴったりで。
だからベットの上に無造作にころがされたその香水瓶を見て、わたしはすごく驚いた。
「COCO MADEMOISELLE」と書かれたシャネルのその香水が、こんなに強くてセクシーに香るとは思っていなかったから。
その桜色の香水を見て、わたしはちょっとどきどきして、同時に取り返しのつかないことをしてしまったような気持ちになる。
どうしよう。知ってしまった。彼女がつけている香水を。
誰にも見られなかったかと、辺りを急いでうかがうような罪悪感がせり上げてきて、でも彼女があっさりその香りの名を口にしたおかげで、それは少しだけやわらいだ。
でも、今度はわたしの番だ。
”なんの香水?”と聞かれて、わたしは一瞬言葉に詰まってしまった。
わずか数秒逡巡し、
結局、彼女にはわたしの香りを明かしたのだけど。
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香水を聞かれたとき、一体どうして答えればいいのだろう。
ほんとうは教えたくなんてないし、教えたくないって言うのなんてなんだか感じがよくないし、いつだって、どうしたものかと思案している。
だからたいてい香料だけを答えたり、
あるいは、内緒、と冗談にしてみたり。
きっと聞いてくれた人に他意はなくて、
それでも、香水は時々とてもプライヴェイト。
知るのも、知られるのも、魔法が解けてゆくような気持ちだ。正体を明かされるみたいで心許なくなる。
誰になら教えられるのだろう。
いまわたしの香水を知っているのは、恋人と、その彼女だけ。
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街で出会っただけの人になら、なんだか教えられるような気がする。
仲が良くても、気軽に教えちゃいけないような気がする。
遠いのか、近いのか。もうよく分からなくなってくる。
なんとはなしに秘密めいてる、
それは香りの不思議な距離感。