世界を、創り変える服
秋になったら着ようとツイードのスカートを手に入れた。
驚くほど状態の良いヴィンテージで、とあるヨーロッパのメゾンのもの。
そもそも一目見たときから、その生地のたっぷり使ってあることとか、その迫力とか気配の重さとか、
または裏地のほんとうに丁寧にとめられてあることとかに、まったくため息がでそうだったのだけれど、
ジッパーを上げて、腰の留め具を引っ掛けてそれを履いたらそれはただもう、なにか驚異的なものだった。
洋装かくあるべし、ということを突きつけてくるようなその存在に、
わたしが今まで着ていたのは同じ洋服なのだろうかと疑いたくなるほどだった。
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その腰回りの頑丈なことといったら、コルセットかあるいはしっかり着付けた着物の帯かというくらいで(そしてそれが傍目にそうと分からないのが、さらにすごいところなのだけど)、
”しっかり立ちなさい、一個の人間として生きてゆきなさい”
と誰かに背中を押されているような心持ちがずっと続いていく。
そうやって支えてもらっているものだから、着れば背筋はしゃんとして、
”わたしはわたしという人なのです”
と胸を張って往来をあるいてゆくような、そんな清々しい心のありようで、まっすぐ一日を過ごしていられる。
それは私にとってはなかなかに魔法のようなことで。
そしてすっくと自分が立っていると、つぎは地面と自分の接地点がなんだかとても重要な気がしてきて、
地に足のついた存在としての自分がいて、それがここに立っていて、
そして上方を見ればもっと広い世界が広がっているのだと、
それらひとつひとつをまさに腑に落ちる、という感じでわたしは理解して、
あれは自分の存在を発見するような体験だった。
いままで見ていた世界がまったく違うレンズで見えるような、
それが洋服ひとつで成し遂げられるということ。
それは面白く、そして不思議とすこし可笑しかった。
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着るもので人はつくられる、ということを今までなんとなく信じてきて
それはでも、柔らかい素材を着ればやさしい気持ちが呼び起こされるとか、
美しい色の数々で、心踊るように生きていけるはずだとか、
そういう自分の中の何かを目覚めさせるという類のことだと思っていた。
でもこのメゾンのスカートは、その人のありようというか、
世界を構築する理屈さえも、もしかしたら変えてしまいそうで
”つくられる”どころかまるごと”つくり変えられる”可能性すら存在する
そんな、丁々発止を挑んでくるような服だった。
それは洋装の伝統なのか
あるいはメゾンの信条なのか
本当のところはよく、分からない。
よい服を着れば簡単にそうなれるのか
それともそれは偶然その服に宿った理屈なのか
それすらも、わたしはまだ知らない。
けれどわたしはこのスカートを履いて
胸にすっきりしたタックの入ったシャツを着て、
そしてこの秋はまっすぐ前を見て、
青空の下、地面を鳴らして歩こうと思う。