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憧れがいまを置き去りにする

ちょっと大人になりすぎたと思った。

背伸びをしすぎたのかもしれない。


その気持ちはふいにやってきた。友人からの映画の誘いを、終電が無くなるからといって断ったときだった。

バスタブの中でわたしはわけもなく悲しくなって、

シルクのパジャマも、上等のニットも、明日履くかもしれないピスタチオグリーンのタイトスカートも、わたしを癒してくれる気がしなかった。

今はどれもこれも着たくない、と思った。こんなのは初めてだった。


気づいたら棘がいっぱい刺さって、わたしの表皮はずいぶん硬くなったみたいだった。それは雨風にさらされた植物が強くなるように。

素敵な大人になるのがいいのだと思っていた。どうせならざるを得ないのだからせめて自分で形づくりたいと、あちこちを押したり、削ったりして。そのあいだに色んなものを忘れてきてしまった。

憧れの人たちが遠のいたり、近づいたりしていた。裏側を見たりもしてしまった。取り残されていたあいだに感じることができなくなってきて、苦しくてもどかしかった。


ああ大人になろうとしすぎたのだ、と

やっと言葉にして気づくことができたのが今日だった。

わたしは背伸びしていつだって、先の世界を見ていたのだった。

でももうちょっと、限界だと思った。



明日ばかりは、わたしは素敵な装いなんてしたくない。

いまの自分にぴったりな服なんて着たくない。ましてや憧れの服なんて。

ただ小枝の先ほどのかたさもなく、触れれば葉脈がこわれてしまっていた、甘えてすべてに過敏な自分を

ああ置き去りにしてごめんねと、迎えに行きたいだけ。どうしても。


そんな日は、

たとえば毛がつぎからつぎへと抜ける真っ白なふわふわのセーターに

大好きなミュージシャンのお下がりの、チェックの短いスカートを履いて。

うっかり出かけてしまいたい。甘ったれた自分も許してみたい。

心から先に大人になってしまうなんて、今はまっぴらだと思うから。



憧れるあまり、先を見るあまり

忘れてしまってるものはないだろうか。

秋はノスタルジック。色んなことを思い出す。

記憶の底から浮かび上がってきたら、きっと迎えにいけるはず。



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