古く柔らかな服を着て
新しくてぴんとしたのも素敵だけれど、
時間をかけて美しく着られた服もまた、古い馴染みのようで心地の良いものだ。
一枚のガウンを着て眠り続けた末に、そんなことを思った。
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洋服、というものについて色々と考えて、
はじめて古着屋に足を踏み入れることにしたのだった。
ロンドンを中心とした古着を扱っている、その小さな小さなお店はまず、
古着特有の匂いが全くしないのが気に入った。保存状態が良いということの、それは裏返し。
品数も少ないから、必死で”掘り出し物”を探さなくても良い。そんなところもとても安心だった。
わたしは1枚のガウンを選ぶ。
シルクの、ヴィンテージまではいかないガウン。10年ほど前の、マークス&スペンサーのものだと言っていた。
丈はずいぶん長くて、くるぶしまで包んでくれる。
まるで大きい毛布にくるまっているようで、いつまでも心安らかに眠っていられそうな気分になる。
色は、モーヴ。
紫でもなく、グレーでもない、雨の日の夜明けみたいな色だから、そんな色を見ていたら、ますます眠りこけてしまいそう。
そしてずいぶん洗ったのだろう。裾の方にかけて、色が抜けている。
それは水面に反射する光のようで、眠りに落ちそうな頭をさらに、どこか現実離れしたところに連れ出していきそうなのだった。
驚くことに、このガウンはとても着心地が良かった。
着た瞬間から、それはぴったりと体になじむ。
まるでもう何年も前から、所有していたかのように。
それは多分、ぴんとした新しい洋服では味わえないもので、
このくたっとした柔らかさと、大きさ、色合い
全部、眠りのためには完璧みたいに見えた。
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ガウンは本来、眠るときに着るものじゃない。
でもそれは本当に、眠るためのものみたいに見えたから
旅先で試してみたら、まるで家にいるみたいに眠れたのだった。
何日でも眠れそうなくらい、それは体に心地がよくて、
古着の効用というものを、わたしははじめて知った気がした。
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古着は所詮、古着。生地もダメージを受けているから、新品よりは落ちるもの。
そんな風に思っていたわたしの考えを、それは一瞬で変えた。
古着は、誰かが大切に着てくれたものを受け取るもの。
誰かが大事にしてくれたから、生地は十分に柔らかくなり、初対面のわたしのことさえも、優しく包んでくれる。
布は着る人の体に沿うようになり、色は淡く、尖ったところが減っていく。
まるで長い間かけて、波に揉まれたガラスの角が取れていくような。
そんな 景色を、わたしはこの1枚のガウンから感じたのだった。
古着は決して、ただの古着ではない。
時間をかけてもたらされる価値が、そこにはある。