夜の長くなっていく季節が始まる日に
秋分の日に生まれた3人の音楽家
4、5日前のことを言うのも間が抜けているけれど、9月23日秋分の日(実際に昼夜の長さの差が最も小さくなるのは今日、27日あたりなんだそう)
が誕生日だった音楽家として
ジョン・コルトレーン(1926年生まれ)
レイ・チャールズ(1930年生まれ)
ブルース・スプリングスティーン
(1949年生まれ)
の3人がいる。
ポピュラー音楽にとって特別な日だと受けとる他はない。
そう思ったら、こんな記事がネット上にはすでにあった。
この誕生日がすごい!【9月23日】全米の音楽ファンが驚いた、3人のレガシーそろい踏み
だから、どうした!の部類の話だが、暦の上では特別な日、昼と夜の間で平衡が成りたち、ここを過ぎれば夜の長さが増していくという季節の転換点の日に、ポピュラー音楽にとっても特別な存在が、この世にやって来たとなれば、やはりただならぬものを感じてしまう。
レイ・チャールズとブルース・スプリングスティーンは同じ場にいたことがある
今挙げた記事「この誕生日がすごい!」には、この3人が直接、顔を合わせたり、共演した事実はなかったようであると記されている。
だが、実のところレイ・チャールズとブ
ルース・スプリングスティーンは共演したことがあるのを我々は思いだすことができる。
ああ、あれかと思い当たっている方もおられるだろうが、皆様ご存知の(と言っても40歳くらいより若い世代の方には馴染みが薄いかもしれない)1985年(40年近く前だ)に録音され、発表された大チャリティ企画の曲
「ウィ・アー・ザ・ワールド(We Are The World)」である。
あの曲の録音の際には、参加したシンガーたちは同じスタジオに集まっていたわけで、レイ・チャールズとブルース・スプリングスティーンはその中にいたのだから、共演したというばかりでなく、少なくとも同じ場所にいたわけで、顔を合わせていると考えて良いだろう。※
というわけで、ネット上にある情報は、鵜呑みにせずに、よくよく吟味することが必要なことを改めて感じることになった。
この他にはコルトレーンとレイの活動時期が重なること、スプリングスティーンがデ
ヴューアルバムを発表する以前ということになる1967年に、コルトレーンは亡くなっていることも記述がある。こうした記述は妥当であると受け取ることができるだろう。
スプリングスティーンはライヴの場ではレイの曲を歌ったことがある
また、スプリングスティーンはレイ・
チャールズの音楽から影響を受けたと語っているともあるのだが、スプリングスティーン自身のそうした発言があるかどうか、私にはすぐには、少なくともネット上では確認できなかった。
ただ、ライヴの場で折りに触れてレイの有名曲を歌っていることを伝えるネット上の
ページはいくつか見つけることができる。
そのひとつは↓
イギリスのオンライン・メディアFar Outの記事では、レイの「ホワッド・アイ・セイ(What I’d Say)」を折りに触れてカヴァーしていること。そして「ウィ・アー・ザ・ワールド」のことにも触れられている。
Bruce Springsteen’s 5 favourite singers of all time
コルトレーンとレイとのつながり
ただ記事「この誕生日がすごい!」には、コルトレーンとレイがレコードの録音をするに際して、契約していたレーベルが同じで
あったことがある事実の記述は、あってもいいはずだと思えるが、記されてはいない。
そういったところまで踏みこむ必要がある性質の記事ではないのだ、ということにはなるだろうが。
ジョン・コルトレーンは1960年前後はアトランティック・レコードと契約があり、この時期に録音したものは1960年代の前半に発表されている。
John Coltrane / Coltrane Play The Blues
[Atlantic SD 1382という番号のLP(モノラル盤の番号はSDがつかず数字のみ)として1962年に発売]
「Play The Blues」と言ってもレイ・チャールズがやるブルースとはいささか趣きが異なるわけだが。
このコルトレーンとアトランティックの契約以前の1952年から1959年の間、レイ・
チャールズはアトランティックと契約していて、多くのレコードを発表している(この間の録音で、1960年代になってから発売されたものもある)。
そうしたアトランティックでの録音群がレイの音楽性と音楽家としての立場を確固としたものにしたと言えるだろう。
Ray Charles_The Genius Sings The Blues
[Atlantic SD 8052(これもモノラルは数字のみ)というLPとして1961年に発売]
つまりコルトレーンは、レイとアトラン
ティックの契約が終わったのと入れ替わるようにして、アトランティックと契約したことになる。
アトランティックに録音していた年月の後、レイはABC-パラマウント(Paramount)と契約する。ヴァン・モリソンの連載第4回で触れたカントリー曲集のアルバムもこのレーベルで録音したわけである。
一方コルトレーンはアトランティックとの契約の次には、自身の足跡の到達点を刻み込んだ録音を残したレーベルであり、1960年代のジャズ界においてきわめて大きな存在感があるレーベルのインパルス(Impulse)と契約する。インパルスはABC-パラマウント傘下の
レーベルだった。
つまりコルトレーンとレイは、共にアトランティックとの契約が終わった後、ABC-パラマウントにおいてレコード制作をするようになったのである。
このABC-パラマウント期のレイのアルバムのうち、1961年の、ヴァン・モリソンの連載第2回で触れた「ジニアス・プラス・ソウル・イコール・ジャズ(Genius+Soul=Jazz)」は、レイが歌っている曲がないわけではないにせよ、シンガーとしてのレイよりプレー
ヤーとしてのレイに焦点を合わせた、本格的な、と言い得るジャズのアルバムだが、インパルスで制作し、発表されたアルバムである。
このアルバムに関してはレイとコルトレーンが、まったく同じレーベルに所属していたことになるのだ。
Ray Charles / Genius+Soul=Jazz[Impulse A-2-S(モノは末尾のSがない)という番号のLPとして1961年に発売]
ジャズのアルバムではあるけれど、コルト
レーンのジャズとはだいぶ趣きが異なるジャズである。編成はビッグバンドで、アレンジはクィンシー・ジョーンズ(Quincy Jones)。なおジャケットの写真はこの音源についているものとは異なる。
LPのジャケット↓。
John Coltrane_Africa / Brass[Impulse A-6-S(モノは末尾のSがない。)として1961年に発売]
インパルスでのコルトレーンの最初のアルバム。
ジョン・コルトレーン・クァルテットに何人もの管楽器奏者が加わっての録音で、ビッグバンド編成なのはレイの「ジニアス+〜」と同じだが、だいぶ趣きは異なる。
結局ジョン・コルトレーンとレイ・チャールズは1950年代末から1960年代にかけて、
やっている音楽、活動の場こそ、少し距離がある形で活動していたとはいえ、レコード制作のために契約していた会社は2度に渡って同じだった。
レイとコルトレーンからスプリングスティーンに受け渡されたものはあるだろうか
この1950年代から1960年代へといたる時期、ブルース・スプリングスティーンは、1969年に20歳になるまでの年月を、多感な日々を過ごしていたわけである。
この間に触れたのであろうソウルミュー
ジックの曲をあれこれと歌ったアルバムと受けとれるのが、一昨年、2022年発表のカ
ヴァー集「オンリー・ザ・ストロング・サ
ヴァイヴ(Only The Strong Survive)」だった。
この中にレイ・チャールズゆかりの曲が
あってもよさそうなものだが、選曲に一捻り、二捻りあるカヴァー集で、レイに直接関係する曲はない。
なので、ブルース(Blues)の音楽性を備えた自作曲「グッド・アイ(Good Eye)」(聞いていてシカゴブルースの、圧倒的に強烈な存在であるハウリン・ウルフのことなど思いだした)が収められた2009年のアルバム「ワーキング・オン・ア・ドリーム(Working On A Dream)」の音源を挙げておきたい。
Bruce Springsteen / Good Eye
Bruce Springsteen / Working On A Dream
こうして見てくると、スプリングスティーンとコルトレーンの間を、直接つなぐ関係を見つけることはさすがに難しいものの、その中間にレイ・チャールズの存在を置いてみるならば、レイを介して、一見、関係がなさそうなスプリングスティーンとコルトレーンも無関係と決めつけることはできなくなってくる。
以上、アメリカ音楽史、ポピュラー音楽史にとってきわめて重要な3人の音楽家が、同じ日に、夜の長くなっていく季節が始まる日に生まれたことと、3人の音楽の共通点としてブルースがあると捉えうることを、重ね合わせてみた、というわけである。
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